これは北朝鮮による拉致被害者、市川修一さんと家族を追ったドキュメンタリーだ。修一さんの母・トミさんは、この番組の放送日に息を引き取った。佐戸記者は編集がアップした後、東京の編集室からトミさんが入院していた鹿児島の病院へ直行していた。
修一さんの義理の姉、龍子さんはこう証言する。
「未和ちゃん、母が目を落とすときにも一緒にいてくれて。本当、普通できないですよ。ただ、記者と被害者家族という関係でね。それを、ずっと」
家族同然の仲だった市川家に訃報が入ったのは、佐戸記者が鹿児島を離れて3年後だった。そのときのことを修一さんの兄、健一さんは覚えている。
「(後任のNHK記者に)どういう原因で亡くなったの? と聞いても、誰も知らないんですよ。みんな、わからないと言うだけなんですよ」
空白の2日間
NHKの同僚記者にもわからなかった、佐戸記者が亡くなった当時の状況。遺族から渡された佐戸記者の携帯電話やスケジュール帳、取材情報をもとに、主な出来事を時系列で追ってみた。
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気になるのは7月24日の「局長」「次長」への挨拶回りだ。翌週、横浜放送局への異動が決まっていた佐戸記者。都庁クラブに残るA記者に、自身が担当していた都庁幹部を紹介しようとしていたのではないだろうか。
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