「蔵元でありエンジニア」東大卒30歳の酒蔵改革 家業に入るまではエンジニアひと筋だった
そんな環境下において西堀酒造が活路を見いだすのは、個性を前面に出した「自由闊達な酒造り」だ。一つのブランドに絞ってリソースを集中投下することが経営としては正しいと言われる中、西堀さんはその正反対に、あえてたくさんの実験的なブランドを立ち上げる多様な方向性を打ち出した。
西堀酒造は10年以上前から、商品化する予定もないのに古代米を使った酒を造り続けていた。六代目が戻る前からそういう「興味本位」の酒造りが許される自由な文化があったわけだが、西堀さんはその酒を一口飲んでみて「ここまで振り切った味になるのか」と衝撃を受けたのだという。
個々のエネルギーの発揮
「これだけ幅広いバリエーションができるのが日本酒の世界なのであれば、造り手本意と言われようと、経営判断として正しくないと言われようと、面白そうなアイデアを思いついたらすぐに試してみるというような、そんな酒造りのできる蔵が良いのでは? と考えるようになりました」
日本で唯一となる、特注のアクリル製「透明タンク」にしろ、ご法度とされてきたLED照射を施した「光を使った酒造り」にしろ、西堀さんの常識を覆す挑戦は、非合理な世界であることを逆手に取った「個々のエネルギーの発揮」という文脈にある。
ところで、最初に酒造りがそんな非合理な世界だと知った時、実は「安心した」のだと西堀さんは振り返る。
話は哲学科時代からずっとつながっている。学部では西洋哲学の講義を受けたが、この世のすべてを記号的に記述しようとするなど、合理性に重きを置く西洋哲学特有の考え方は、理屈としては理解できるものの、現実との接続の部分に違和感が残り、机上の空論のように思えた。
西洋を代表する哲学者の一人であるウィトゲンシュタインも、当初はこの世のすべては論理的に記述できるものであるとして『論理哲学論考』を書き上げるが、その後のふとしたきっかけで記述しきれないものがあることに気付き、非合理の世界に足を踏み入れていく。
あるいはゲーデルの不完全性定理が示すように、あれだけ完璧な学問に思える数学でさえ、根本から転覆されうる余地があるのだと知った。
こうしたものに触れるにつれ、西堀さんは「世界はそもそも非合理なものであり、合理的なのはその一部分でしかないのでは」と思うようになった。非合理な酒造りの世界は、そのことを端的に示してくれていた。
しかし、全体として世界は非合理だったとしても、一つ一つのプロセスを合理化することとは矛盾しない、と西堀さんは続ける。