「リベラル」こそ「ナショナリスト」であるべき理由 日本に「民主主義」を取り戻すために必要なこと

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ところが、「リベラリズム」は、この国家による「国民形成(ネイション・ビルディング)」のための教育を、「ナショナリズムの教育」だとか「愛国心の注入」だとかと言って批判してきた。それによって、民主主義の土台をみずから掘り崩してきたのである。

「リベラルな平等」のためには「ナショナリズム」が必要

第3に、決定的な論点として、経済的格差を是正する再分配の問題がある。

なぜ、私は困窮した「見知らぬ他人」を助けるために、私が納めた税金を投入されることを、国家による正当な行為として是認することができるのか。

ここには、たとえ「見知らぬ他人」であっても、彼と私とは同じ国家に属する「同胞」であるという、強力な「連帯」の意識が必要である。この「同胞意識」こそが、まさに「ナショナリズム」の核心なのだ。

これこそ、「リベラルな平等」を実現するためには「ナショナリズム」が必要であるということの、決定的な理由である。

「リベラリズム」には、それができない。なぜか。

「普遍主義」すなわち「グローバリズム」の立場に立つ「リベラリズム」の教義からすれば、「世界」のなかで最も困窮する人々をこそ救済することが、まず優先されるべき道徳的行為となるからである。

たとえば私が、ただ単に「同じ日本人だから」という理由で、コロナ禍で困窮にあえぐ居酒屋を救済することは、「道徳的」ではない。それは「不道徳」なのである。なぜなら、「世界」には、もっと困窮した人々がいくらでもいる。ゆえに私は、困窮した「日本」の居酒屋よりも、もっと困窮した「世界」の人々、たとえばアフリカの子どもたちをこそ、まず先に助けなければならない、ということになるのだ。

グローバリズムがもたらす果てしない経済格差を前にして、「リベラリズム」がむしろその不遇な人々の信頼を失った理由も、ここにある。「リベラリズム」は、「世界」の貧困や不平等を撲滅せよと叫ぶことによって、「国民」のなかにある貧困や不平等を黙殺してしまうのだ。

「ナショナリズム」は、それがもたらす強力な「同胞意識」と「連帯感」をテコにして、国内に平等な社会を実現しようとする。そして、それぞれの国においてそれを実現することが、「ナショナリズム」の理想なのである。

以上のようなさまざまな理由に基づいて、いまやこう言わなければならない。

「リベラルな人々はナショナリストでなければならない」

本書が教えてくれるのは、アメリカの政治家や知識人は、このことに気づきはじめているということだ。はたして、わが国ではどうであろうか?

古川 雄嗣 教育学者、北海道教育大学旭川校准教授

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ふるかわ ゆうじ / Yuji Furukawa

1978年三重県生まれ。京都大学文学部および教育学部卒業。同大学大学院教育学研究科博士後期課程修了。博士(教育学)。現在、北海道教育大学旭川校准教授。専門は、教育哲学、道徳教育。著書に『大人の道徳ーー西洋近代思想を問い直す』(東洋経済新報社、2018年)、『偶然と運命――九鬼周造の倫理学』(ナカニシヤ出版、2015年)、『看護学生と考える教育学――「生きる意味」の援助のために』(ナカニシヤ出版、2016年)、共編著に『反「大学改革」論――若手からの問題提起』(ナカニシヤ出版、2017年)、共著に『道徳教育はいかにあるべきか――歴史・理論・実践』(ミネルヴァ書房、2021年)などがある。

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