「リベラル」こそ「ナショナリスト」であるべき理由

日本に「民主主義」を取り戻すために必要なこと

もともと「リベラル」な人々は、多様な国民や民族の文化が相互に尊重し合いながら発展する、多元的な世界を理想としてきた。つまり、「ナショナリズム」に立脚した世界を構想してきたのである。

しかし、戦後の「リベラリズム」は、むしろその「ナショナリズム」こそが、世界大戦や人種差別や民族虐殺の元凶にほかならないと考えた。ゆえに、むしろ「ナショナリズム」を撲滅し、均質化された一元的な世界、つまり「グローバル」な世界を建設することが、「リベラリズム」の理想とされたのである。

かくして、「リベラリズム」もまた、「グローバリズム」のイデオロギーとなってしまった。そこでは、「ナショナル」な文化や伝統に愛着やアイデンティティを見いだす人々は、無知で理性を欠く「遅れた」大衆とみなされ、軽蔑されることになる。それどころか、「国民」の公正な利益や福祉を追求することすら、排外的で差別的な主張として、断罪されることになったのだ。

「非寛容」なリベラリズムと「寛容」なナショナリズム

ハゾニーが『ナショナリズムの美徳』で厳しく批判するのは、こうした「リベラリズム」の倒錯と欺瞞である。

したがって、注意しなければならないが、本書が批判するのは、あくまでもこの「リベラリズム」というイデオロギーであって、「リベラル」な価値そのものではない。

それどころか、むしろ、本当に「リベラル」な価値を実現できるのは、「リベラリズム」ではなく「ナショナリズム」なのだ、というのが本書の主張である。

これは決して奇異な主張ではない。これを奇異と感じるとすれば、それこそまさに、「リベラリズム」のイデオロギーが吹き込んできた「ナショナリズム」の「負のイメージ」にとらわれた、根拠なき迷信にほかならない。

論理的に考えてみよう。

第1に、現代の「リベラリズム」は、個人的自由や普遍的人権といったみずからの価値観を絶対的なものと考え、世界中の国がそれに従うべきであると考えている。つまり、「寛容」や「多様性」を掲げるはずのリベラリズムが、その実、それぞれの国民や民族の文化や伝統の「多様性」を認めない、きわめて「非寛容」な教義となっているのである。

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