高学歴でも「自己肯定できない人」に足りないもの 親が優秀であればあるほど苦悩する子どもたち

著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

このように、思春期がはじまって間もない中高生にとって、学校という場でクラスメイトとの輪のなかで自分が認められたり褒められたりできるのか、仲間意識やライバル意識が共有できるのかは死活問題です。

クラスメイトの輪のなかの人気者の領域、いわばスクールカーストの高い場所で安定した学生生活を過ごしてきた人は、そうしたものを獲得する機会にも恵まれやすく、結果として「何者かになりたい」という意識が過剰になりにくく、「自分は何者でもない」という意識に悩まされる程度も軽くて済みます。学生生活は充実したものと感じられるでしょう。

学校が自分の居場所にならないつらさ

一方、クラスの隅っこの方で仲間意識をあまり持てなかった人、またはスクールカーストの低い場所で安定しない学生生活を過ごしてきた人にとって、学校という場は自分自身の構成要素を獲得するには足りないか、不向きな場所と感じられるでしょう。

部活動や放課後も含め、学校生活のなかで自分自身の構成要素とみなせるものが見つけられず、居場所と言えるものも見つからない人は、自分はあまりにも何者でもなくて、まるで透明人間のようにさえ感じられて、いたたまれなくなり、学校に行けなくなってしまうこともあります。そのような人の学校生活での死活問題は、成績向上などではなく、自分自身の構成要素となり得るような人間関係や活動、居場所などです。

近年は、児童生徒の数が減っているにもかかわらず不登校が増え続けています。不登校が増えているということは、学校生活が充実していない人、自分自身の構成要素といえるものを学校生活のなかで見出せない人もまた増えていると考えられます。

もうひとつ、学校とアイデンティティの問題で難しいのは、受験勉強です。都市部を中心に中学受験をする小学生が増え、小学生時代から長い時間を受験勉強に費やさなければならない子どもが増えました。

受験勉強は、塾や予備校などで仲間意識やライバル意識がうまく芽生えてくれたり、好成績をおさめて表彰されるなどすれば、それ自体が一時的な自分自身の構成要素になるかもしれません。しかし基本的には、その苦労の多さの割にアイデンティティと結びつきにくいものです。

また、受験勉強は親に多額の費用がかかり、子どもの将来がかかっているという意識が高まるものでもありますから、ともすれば「子どもが自分の意志で頑張っている」というより「親の意志によって頑張るよう強いられている」といった状況に陥りがちです。

この状況も子どもが受験勉強を自分自身の構成要素とみなすにはまったく向いていません。自分の意志でやっているという自覚が欠如し、他人にやらされている自覚の強いものを自分自身の構成要素とすること、ひいてはアイデンティティとみなすことは困難だからです。

次ページ難関校に合格しても「何者」になれない子たち
関連記事
トピックボードAD
キャリア・教育の人気記事