高学歴でも「自己肯定できない人」に足りないもの 親が優秀であればあるほど苦悩する子どもたち

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親に強いられるまま難関校に合格したまではよかったけれども、入学してから何をやっても自分自身の構成要素と感じられるものが見つからず、自分が「何者かになる」手がかりも見つけられず、結局退学してしまう人は案外います。

そのような人のなかにはひきこもりになってしまう人もいますが、アルバイトの勤め先など、まったく関係のないところで活躍できる場所や居場所を見つけ出し、そこから自分自身のアイデンティティを獲得・確立していく人もいます。

受験勉強が必要とされる社会状況は理解できるとしても、受験勉強がアイデンティティを剥奪する場合には、親も子も想定していなかった方向に人生が向かっていくことがままあるので、注意が必要でしょう。

財産は相続できるが「何者か」は相続できない

最近は各家庭の格差が取りざたされていて、さきに述べた受験勉強も含め、親の持っている経済力や「文化資本」「社会関係資本」が子どもの未来を大きく左右するといわれています。

「文化資本」とは、文化活動やマナーについての知識や習慣や文化施設の使い方など、「社会関係資本」とは、コネクション(いわゆるコネや顔利き)のことを指します。文化資本や社会関係資本は収入に直結しているわけではありませんが、高収入のコミュニティや高学歴のコミュニティにとけこんでいくことを助けてくれるため、結果として格差に関連していると考えられ、盛んに議論されています。

こうした文化資本や社会関係資本も含めて、親の持っているものは子へと相続されます。あるいは遺伝子もそうかもしれません。運動が得意な親、容姿の優れた親、勉強の要領がよかった親の子どもは、そうした素養を受け継いでいる可能性が高いものです。格差をロールプレイングゲーム風にたとえるなら、子どもの初期のステータスや初期の装備が違っているわけです。親から譲り受けたものによって、子どもの人生とその難易度が左右されるのは間違いないと思います。

しかし、「何者かになりたい」という本稿のテーマで言うと、親から相続するものが大きければ大きいほどいいかというと、そうとも限りません。

たとえば親が高い年収や社会的地位を持っている場合、子どもはその親と見比べられてしまうことがあります。有名人の娘は有名人の娘として、大学教授の息子は大学教授の息子として周囲に見られ、値踏みされるわけです。子どもの側としては「自分は自分、親とは違う」と思っているのに、世間がそういう視線を押しつけてくるのは心地よいことではないでしょう。

まして、「親と比べて劣っている」などと言われるならなおさらです。この場合、娘や息子は周囲のそういう視線をはねのけるか、避けながら自分自身の構成要素となるものを探していかなければなりません。

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