40歳で引退サッカー中村憲剛が説く「勝利の哲学」 いくつもの逆境を乗り越えた彼が見た世界

ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小
「短期的に目の前のことに全力で取り組むタイプ」だという(写真:20’s type編集部)

チャンスは誰のもとにも訪れる。しかし、そのチャンスをつかめるのは一握りの人間だけだ。なぜ中村さんは、自らの手でつかみとることができたのか。

「当時から、扉を一つずつ開いていくように、目標設定を少しずつ高く設定するようにしていたんです。プロ入り後はまずベンチ入りメンバーに入ることが目標でした。

達成できたら次は常時スタメンで試合に出場。それをクリアしたらJ1昇格、中心選手としてプレーする……というように。その準備をしていたから、チャンスが来た時に活躍できたんだと思います。

僕は選手として長期的なプランを立てるというよりも、短期的に目の前のことに全力で取り組むタイプ。それが結果的によかったのかもしれません」

付いたあだ名は「シャカシャカ君」

「試合も練習も、何をするにも常に全力だった」と振り返る(写真:20’s type編集部)

さらに「これは20代の頃に限らずですが、選手として常に危機感を持っていたからこそ、チャンスをつかむ準備が整っていた」と続ける。

「いつクビになってもおかしくないですし、常に『自分自身に価値がないといけない、チームにとって自分の存在が有益でなければならない』という意識が強くて。だから試合も練習も、何をするにも常に全力でしたね。とにかく爪痕を残したくて。

20代の頃は特に、必死で目の前のことに取り組んでいました。アジリティトレーニングの時はいつもトレーニングウェアが擦れる音がするから、チームメイトからは『シャカシャカ君』って呼ばれていたんですよ(笑)。それほどいつも100%の力を振り絞っていたんです」

次ページ37歳で悲願のリーグ優勝
関連記事
トピックボードAD
キャリア・教育の人気記事