実力つけても幕府は冷遇「徳川慶喜」不興買う理由 禁門の変で活躍後に露骨な「慶喜外し」に直面

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しかし、幕府からすれば、慶喜に不信感を持つのは当然だった。なにしろ、徳川家に身を置きながら、参与会議の次は一会桑と、天皇の威光をバックにして発言力を高めて、幕府になんだかんだと注文をつけてくる。

そんな幕府の怒りは、政策にも反映される。かつて慶喜と慶永は「文久の改革」で、参勤交代の条件を大幅に緩和させた(第2回参照)。外国の脅威にさらされる中、各藩には国防に尽力してもらう必要があったからだ。

それをあろうことかこのタイミングで、幕府は参勤交代制の復活と大名妻子の江戸居住を命じる藩命を下している。狙いは幕府の復権である。

幕府の慶喜への仕打ちは、嫌がらせの域に達していく。「禁門の変」直後には、慶喜の護衛として在京している水戸藩士に対して「国元に帰るように」という幕命を、一橋家の家老に向けて下している。その代わりに、幕府は200人あまりの新たな護衛を送っているが、わざわざ気心知れた人材を慶喜から取り上げたのだから、なかなかやることが陰湿だ。

怒りを募らせている場合ではなかった慶喜

だが、横暴な幕府に対して慶喜が怒りを募らせたかといえば、実はそれどころではなかった。お膝元である水戸で、過激な尊王攘夷派が台頭。「天狗党」と名乗り、常州の筑波山に挙兵したのである。

幕府も手を焼く中で、追討を逃れた天狗党は、京にいる慶喜を担いで、起死回生を図ろうとしていた。一団を率いるのは武田耕雲斎。父の徳川斉昭のもとで、水戸藩政を支えた人物で、慶喜とも信頼関係が深い。武田からすれば「烈公の遺志を引き継いでいる」という自負もあり、慶喜ならきっと理解して、朝廷につないでくれるという思いがあった。

しかし、慶喜からすればいい迷惑である。「なぜ、今こんなときに」といら立ったことだろう。まるで父の亡霊につきまとわれているかのようだ。

一方で、自分をこれだけ頼りにし、かつ、わが父の思いを継いでの決起である。その気持ちは無碍にはしたくないが、立場上、徹底して鎮圧しなければ、それこそ面目丸つぶれである。天狗党は北関東から信濃、美濃を経て、京へと迫ってきた。朝議が追討を許したので、慶喜は自ら出兵することを決めている。

わずか800人の天狗党に対して、慶喜が大垣、彦根、金沢などの諸藩兵を繰り出したのは、行き場のない怒りのあらわれかもしれない。まさに今、幕府は長州征伐を行っているというのに、いったい何をやっているんだ、俺は……と愚痴りたくもなるだろう。

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