実力つけても幕府は冷遇「徳川慶喜」不興買う理由 禁門の変で活躍後に露骨な「慶喜外し」に直面

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幕府は第一次長州征伐で長州を降伏させたものの、その結果には不満を抱いていた。降伏条件がどうも手ぬるいのだ。さては慶喜が京でよからぬ手をまわしたのではないかと、幕府は疑心暗鬼に陥っていた。

いうまでもなく、慶喜は何もしていない。天狗党の後始末でそれどころではなかった。降伏条件が長州藩に甘いのは、長州征伐で参謀を務めた西郷の変節にほかならない。当初、西郷は徹底して長州を潰そうと主張していた。なぜ、長州への態度を変えたのだろうか。

幕府への見切りを考え始めていた西郷

実は、西郷はこのころ、軍艦奉行の勝海舟と初めて出会っている。豪胆な勝海舟は、幕府の内情をべらべらしゃべる。幕府の内情は想像以上にひどい。それを知った西郷の政治的な勘が働く。幕府への見切りを考え始めていたのである。

長州の降伏を受けいれるにあたって、慶勝は西郷に「内乱状態を長引かせるのはよくないから、平和的な解決を」と言いくるめられたのだろう。もし、薩摩への警戒心が強い慶喜が代わりに務めていれば、西郷の真意に気づいたのではないだろうか。

幕府にはそこまでの視点はなく、第二次長州征伐へと意気揚々と出かけて行く。長州など恐るるに足らず、とも言いたげである。だが、今度はそううまくはいかなかった。薩摩が参加を見送ったばかりか、長州藩と水面下で密約を結び、武器を送るなど支援していたのである。

慶喜はどうしていたか。 幕府が第二次長州征伐に手間取るのを冷ややかに見ながら、慶応2(1866)年7月1日に慶永と会談していた。

まったくこの2人は腐れ縁だ。いったい何度ケンカ別れしただろうか。勘弁してくれという想いを込めてだろう。慶永は慶喜を「強情公」と呼んでいる。慶喜も負けじと、鼻が高い慶永を「鋭鼻公」と言ってからかっている。

目まぐるしく変わる政治状況の中、激論を交わしながら、苦楽をともにした2人。肝も据わってくるというものだ。だが、7月14日、そんな慶喜と慶永でさえ、驚愕するような知らせが飛び込んでくる。

将軍の家茂が戦地で危篤――。時代がまた大きく動き出そうとしていた。

第6回につづく)

【参考文献】
徳川慶喜『昔夢会筆記―徳川慶喜公回想談』(東洋文庫)
渋沢栄一『徳川慶喜公伝全4巻』(東洋文庫)
家近良樹『徳川慶喜』(吉川弘文館)
家近良樹『幕末維新の個性①徳川慶喜』(吉川弘文館)
松浦玲『徳川慶喜将軍家の明治維新増補版』(中公新書)
野口武彦『慶喜のカリスマ』(講談社

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