人類が迎える「第3の定常化時代」はどんな時代か 問いなおされる「拡大・成長」と「不老不死」の夢

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同時にそれは、先ほどふれた「有限性」という話題とも重なる。すなわち、枢軸時代/精神革命においては、環境や資源の「有限性」に直面する中で、人間はそれまでになかった思想や観念、価値を生み出し、新たな発展と創造性、そして「生存」の道への転換を行った。

以上のように記すといささか縁遠い、硬い話のように響くかもしれないが、そうではない。そうした時代の構造変化は、日本社会にそくして見た場合、個人の「幸福」にとってもプラスの意味をもっている。

すなわち山登りにたとえるならば、「拡大・成長」の時代とは、“昭和”が典型であるように、ゴールは1つで、“集団で一本の道を登る”ような社会だった。しかし山頂に立ってみれば、視界は360度開け、したがって各人はそれぞれの道を選び、従来よりも自由度の高いかたちで自らの人生をデザインしつつ、創造性を伸ばし、好きなことを追求していけばよいのである。

日本について言えば、人口減少社会に移行し集団的な「拡大・成長」路線はもはや時代遅れになっていたにもかかわらず、そうした転換ができなかったのが「平成」の“失われた〇〇年”だった。つまり上記のような意識転換を行っていくことは、経済の活力や社会の持続可能性にとってもプラスの意味をもっているのである。

地球倫理と新たな展望

そして、現在が人類史における第三の定常化の時代だとすれば、狩猟採集段階における「心のビッグバン」や、農耕段階における「枢軸時代/精神革命」に匹敵するような、根本的に新しい思想や価値原理が生成する時代の入り口を私たちは迎えようとしている。

ではそうした新たな思想とは何か。それは「地球倫理」と呼べるような思想ないし世界観ではないかと私は考えており、本書の中で詳しく述べている。同時に、それだけには尽きない側面、とくに私たちが「有限」の人生を生きる中で、「死」や「無」、「生命」あるいは死生観ということをどう考えたらよいのかというテーマを含めて、本稿の冒頭に掲げた問い、つまり「私たちは今、人間の歴史あるいは時間の流れの中で、どのような場所に立っているのか。そしてどこへ向かおうとしているのか。何を目指しているのか」についての私なりの答えを示している。

最後に一言、個人的な述懐を記させていただければ、私は今年還暦を迎えたが、本書の内容は、私自身が中学2年の頃の物心ついたときから考え悩んできた問いでもあった上記のような問いに、ひとつの結論を与えるものともなっている。

本書を読まれた方が、今という時代そして未来を考えるうえで、また生きていくことの土台にあるものを探すにあたって、何らかのヒントや手がかりを得ることがあれば、このうえない幸せに感じる次第である。

広井 良典 京都大学 人と社会の未来研究院教授

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ひろい よしのり / Yoshinori Hiroi

1961年岡山市生まれ。東京大学・同大学院修士課程修了後、厚生省勤務後、96年より千葉大学法経学部助教授、2003年より同教授。この間マサチューセッツ工科大学(MIT)客員研究員。2016年より京都大学教授。専攻は公共政策及び科学哲学。限りない拡大・成長の後に展望される「定常型社会=持続可能な福祉社会」を一貫して提唱するとともに、社会保障や環境、都市・地域に関する政策研究から、時間、ケア、死生観等をめぐる哲学的考察まで幅広い活動を行っている。著書に『コミュニティを問いなおす』(ちくま新書、大佛次郎論壇賞)、『日本の社会保障』(エコノミスト賞受賞、岩波新書)、『人口減少社会のデザイン』(東洋経済新報社)など。

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