人類が迎える「第3の定常化時代」はどんな時代か 問いなおされる「拡大・成長」と「不老不死」の夢
このように考えていくと、冒頭に掲げた問い、つまり「私たちは今、人間の歴史あるいは時間の流れの中で、どのような場所に立っているのか。そしてどこへ向かおうとしているのか。何を目指しているのか」という問いには、2つの側面があることが見えてくる。
それは第1に「経済社会」に関する現実的な側面、そして第2に「人生や死生観」に関する実存的ないし哲学的な側面の2つである。
不協和が生じる「経済社会」における「人生や死生観」
前者の側面については、最近の動きに目をやると、昨年発生して日本や世界を一変させ、今なお続いている新型コロナ・パンデミックと、温暖化・集中豪雨等に示されるような気候変動の2つが、特徴的な動きとしてまず頭に浮かぶだろう。そしてこの2つは一見まったく独立した現象であるようにも見えるが、いずれもその根底に、人間と自然あるいは生態系(エコ・システム)の間に、ある種の根本的な不協和が生じていることを示唆している。
言い換えれば、人間の行う経済活動の規模が自然環境や地球の許容度を超え出るまでに至ろうとしていることが、新型コロナと気候変動という2つの異なる現象の、共通の背景にある。だとすれば、これらの問題に対処していくためには、人間の経済活動のあり方や環境との関わりを何らかの形で根底から見直し、その新たな発展の方向を見いだしていく必要があるのではないか。
一方、後者の側面、つまり「人生や死生観」に関する実存的な側面に関しては、近年、“現代版「不老不死」の夢”ともいうべき議論が活発になっている。それは、テクノロジーによって人間は「老い」や「死」から自由になることができ、究極的には「永遠の生」を得ることができるという論だ。この種の話題は以前から“SF”的な議論として存在していたが、それが現実的な形で論じられるようになっているのが近年の特徴だ。
これにはさしあたり、2つの流れがある。1つは、アメリカの未来学者レイ・カーツワイルの「シンギュラリティー(技術的特異点)」論に象徴されるような、“脳の情報すべてを機械ないしインターネット上に「アップロード」して永遠の意識を実現する”といった、情報科学あるいは神経科学系の議論だ。もう1つの流れは、再生医療をめぐる展開の一部や、昨今ベストセラーになっているアメリカの遺伝学者デビッド・シンクレアの著書『LIFESPAN(ライフスパン)』に見られるような、「老いは『治療』でき、よって人間は無限に生き続けられる」といった、生命科学系の展開である。
“現代版「不老不死」の夢”をめぐる以上のような2つの流れは、前者はいわば「意識の永続化」を志向するもの、後者はいわば「身体の永続化」に関するものと言える。しかしこれらはいずれも、個人の生の“限りない延長”を目指すという点において共通している。
こうした方向は、ある意味で近代科学がその発展の先に到達する究極的なテーマという側面をもっているだろう。同時に、「欲望の無限の拡大」をそのエンジンとしてきた資本主義が必然的に行き着く話題でもあり、抗し難い力をもって推進されつつある。しかしはたしてそのような「意識の永続化」「身体の永続化」という方向は、私たちに真の充足や幸福をもたらすのだろうか。
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