人類が迎える「第3の定常化時代」はどんな時代か 問いなおされる「拡大・成長」と「不老不死」の夢
そして、ここでとくに注目したいのは、先ほど言及したように、人間の歴史における「拡大・成長から定常化への移行期」において、それまでには存在しなかったような何らかの新たな思想ないし価値、あるいは倫理と呼べるものが生まれたという点だ。
この点に関し、しばらく前から人類学や考古学の分野で、「心のビッグバン」あるいは「文化のビッグバン」などと呼ばれている興味深い現象がある。たとえば加工された装飾品、絵画や彫刻などの芸術作品のようなものが今から約5万年前の時期に一気に現れることを指したものだ(わかりやすいイメージとしては、ラスコーの洞窟壁画など)。それは「文化的イノベーション」とも呼べる現象である。
一方、人間の歴史を大きく俯瞰した時、もう1つ浮かび上がる精神的・文化的な面での大きな革新の時期がある。それはドイツの哲学者ヤスパースが「枢軸時代」、科学史家の伊東俊太郎が「精神革命」と呼んだ、紀元前5世紀前後の時代である。この時期ある意味で奇妙なことに、現在に続く「普遍的な価値」を志向するような思想が地球上の各地で“同時多発的”に生まれた。すなわちインドでの仏教、中国での儒教や老荘思想、ギリシャ哲学、中東での(キリスト教やイスラム教の源流となる)旧約思想であり、それらは共通して、特定の民族を超えた「人間」という観念を初めてもつと同時に、物質的な欲望を超えた、新たな価値ないし倫理を説いた点に特徴をもつものだった。これらもまた「文化的イノベーション」と呼べる大きな革新と創造である。
「文化的イノベーション」はなぜ同時多発的に生じるか
いま「奇妙なことに」これらが“同時多発的”に生じたと述べたが、その背景ないし原因は何だったのだろうか。
興味深いことに、最近の環境史(environmental history)と呼ばれる分野において、この時代、以上の各地域において、農耕による開発と人口の急速な増加が進んだ結果として、森林の枯渇や土壌の浸食等が深刻な形で進み、農耕文明がある種の資源・環境制約に直面しつつあったということが明らかにされてきている。
このように考えると、枢軸時代/精神革命に生成した普遍思想(普遍宗教)は、そうした資源・環境的制約の中で、いわば「物質的生産の量的拡大から精神的・文化的発展へ」という新たな発展の方向を導くような思想として生じたのではないだろうか。
つまり、いわば外に向かってひたすら拡大していくような「物質的生産の量的拡大」という方向が環境・資源制約にぶつかって立ち行かなくなり、また資源をめぐる争いも深刻化する中で、そうした方向とは異なる、すなわち資源の浪費や自然の搾取を極力伴わないような、精神的・文化的な発展への移行や価値の創発、意識転換がこの時代に生じたのではないか。
読者の方はすでに気づかれたかと思うが、これは現在ときわめてよく似た時代状況である。つまり、ここ200~300年の間に加速化した産業化ないし工業化の大きな波が飽和し、また資源・環境制約に直面する中で、私たちは再び新たな「拡大・成長から成熟・定常化へ」の時代を迎えようとしているからだ。
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