100年前「禁酒法」施行の米国で何が起こったか 結果としては歴史に残る「ざる法」だった
独立戦争以前からアルコールに根強い反発
19世紀の半ばからアメリカでの知名度が高まったウイスキーは、南北戦争を挟んで、ケンタッキー州、テネシー州、イリノイ州などを中心に蒸留所が多数開設され、産業としての発展を遂げました。
ですが、ウイスキー産業の発展を誰もがよろこんでいたわけではありません。イングランドから北アメリカにいち早く入植し、禁欲や勤勉を尊ぶピューリタン(清教徒)の影響が強かったアメリカでは、アメリカ独立戦争以前からアルコールに対する根強い反発がありました。
さらに、バーボンウイスキーをはじめとするアルコール飲料が広がりを見せるにしたがい、「飲酒のせいで健康被害や治安悪化・暴力事件が増えている」という批判が増加します。
そこへ、アルコールの過剰摂取が家庭生活にも支障を来すと訴える婦人活動や、第1次世界大戦下での節約志向、ビール業界を支配していたドイツ系移民への反発なども相まって(第1次世界大戦でドイツはアメリカの敵対国でした)、禁酒運動は各地で高まりを見せていきます。禁酒運動の一部は過激化し、女性活動家のキャリー・ネイションが手斧で酒場を破壊してまわったエピソードはとくに有名です。
結果として、アメリカでは20世紀初頭までに18の州で禁酒法が実施され、1917年にはアメリカ合衆国憲法修正第18条(全国禁酒法)が上下院を通過します。全国禁酒法の施行には、全48州(当時)のうち4分の3となる36州の批准が必要でした。
当初は多くの人々が「批准する州が4分の3を超えることはないだろう」と高をくくっていたようです。しかし、推進派は禁酒法を「人類史上初の高貴なる実験」と称え、これに賛同する人々が続出。結局、36州が批准して成立してしまいます。そして、1919年1月から1年間の猶予期間を経て、1920年1月17日から全国禁酒法が施行されたのです。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら