100年前「禁酒法」施行の米国で何が起こったか 結果としては歴史に残る「ざる法」だった

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自由主義国が禁酒を全面的に実施するのは、人類史上初めてのことでした。ただ、法が禁じたのはお酒の製造・販売・移動のみ。飲酒そのものは禁じられていませんでした。さらに実施まで1年の猶予期間があったおかげで、人々はお酒を大量に買いだめすることができ、国内のお酒の消費量はかえって激増します。禁酒法は歴史に残る“ざる法”でした。

密造や密売、密輸も横行しました。これに目をつけ、密造酒をもぐり酒場に運ぶ中間業者、つまりギャングが暗躍するようになります。ギャングたちは密造や密売により巨大な利を得、縄張りを拡大していきました。この時期に頭角を現し、裏社会のドンとなったのがあのアル・カポネです。

映画『アンタッチャブル』(1987年公開)では、アル・カポネをロバート・デ・ニーロが、アル・カポネ逮捕に奮闘する財務省捜査官エリオット・ネスをケビン・コスナーが演じました。作中でアル・カポネはカナダからウイスキーを密輸していますが、実際、禁酒法時代にはカナディアンウイスキーが大量に密輸され、禁酒法で渇いたアメリカ人ののどをうるおしていたのです。

全国禁酒法により、アメリカのウイスキー産業は壊滅的な打撃を受けます。禁酒法の施行中も、一部のウイスキーは薬用ウイスキーとして薬局で扱われていました。医師が薬用ウイスキーの処方が必要だと判断した患者は、処方箋を持って行けば、薬局でウイスキーを購入できたのです。ウイスキーほしさに医療機関を訪れる人が増え、処方箋を大量に発行してかせいだ医師もいたといわれています。

ただ、政府の指定を受け、薬用としてではあるもののウイスキーの製造を続けられた蒸留所はごくわずか。20世紀初頭には3000軒近くあった蒸留所はほとんどが閉鎖となり、再興することはありませんでした。

代々培ってきた知識やスキルが数多く失われた

スコッチウイスキーとアイリッシュウイスキーも大きな影響を受けました。当時、スコッチのブレンデッドの台頭、アイルランド独立戦争の影響で斜陽となっていたアイリッシュウイスキー産業は、アメリカという主要マーケットを失うことで、ますます衰退しました。

アイリッシュウイスキーほどではありませんが、重要なマーケットだったアメリカでの売れ行きがストップしたことで、スコットランドでも多くの蒸留所が閉鎖・倒産しています。ウイスキーのつくり手たちが代々培ってきた知識やスキルが数多く失われたこの時代は、アメリカン、スコッチ、アイリッシュにとって暗黒の時代でした。

全国禁酒法の影響でアメリカはもとよりアイリッシュ、スコッチも壊滅的なダメージを受けるなか、一人勝ちしていたのがカナディアンウイスキーです。1920年にアメリカで全国禁酒法が施行されても、カナダ政府はアメリカへのウイスキーの輸出を禁止しませんでした。

アメリカ合衆国は当然、カナダに輸出を止めるよう申し入れました。しかし、カナダは応じませんでした。

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