100年前「禁酒法」施行の米国で何が起こったか 結果としては歴史に残る「ざる法」だった

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「アメリカの禁酒法がうまくいっていないのはアメリカの問題であって、カナダには関係ない」

カナダの国民の多くはそう思っていたようです。結局、カナダは輸出を続け、当時の国家財政の3分の1はアメリカへの密輸が占めていたといわれるほど、大もうけしました。

全国禁酒法に終止符が打たれたのは1933年です。同年、禁酒法廃止を訴えて選挙戦にのぞんだフランクリン・ルーズベルトが大統領に就任。12月に全国禁酒法は廃止となり、14年近く続いた禁酒法時代はようやく終わりを迎えました。

その後、アメリカのウイスキー産業は徐々に勢いを取り戻します。しかし、禁酒法時代に多くの蒸留所が閉鎖となったため、原酒が不足し、当初はバーボンではなく、安価なブレンデッドウイスキーが出まわりました。

現在、バーボン販売数量世界一を誇るジムビームは、禁酒法廃止からわずか120日後に蒸留所を再開し、1934年にはジムビームバーボンを販売しています。しかし、ウイスキー産業全体が復活するのは、第2次世界大戦後の1950年代に入ってからです。1950年代にはアメリカンウイスキーの輸出が増え、アメリカンウイスキーが広く世界で飲まれるようになりました。

1963年には、合衆国内におけるアメリカンウイスキー販売量の51%以上をバーボンが占めるようになります。バーボンが名実ともにアメリカを代表するウイスキーとなったのは、このころからです。

酒類の製造や販売を規制する州は今なお存在

1980年代から1990年代にかけて、ウイスキー産業は世界的に低迷します。アメリカンウイスキーの代名詞となり、最盛期には200近く存在していたケンタッキーバーボンの蒸留所は、10カ所程度にまで落ち込みました。この流れが変わるのは2000年以降のことです。

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なお、アメリカ合衆国全体での禁酒法は廃止されましたが、酒類の製造や販売を規制する州は今なお存在します。州のなかでアルコール飲料の販売を禁止している郡を「ドライ・カウンティ」といい、現在も数百のドライ・カウンティがあるのです(酒類の規制がない郡は「ウェット・カウンティ」と呼ばれます)。

例えば、ジャックダニエルの蒸留所はテネシー州ムーア郡にありますが、ムーア郡はドライ・カウンティです。見学客は、特別許可を得ている蒸留所内の売店でのみ、ジャックダニエルを購入することができます。

コンビニエンスストアで24時間365日お酒を買える日本は、お酒に対してとても寛容な国だといえるでしょう。

土屋 守 ウイスキー文化研究所代表

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つちや まもる / Mamoru Tsuchiya

1954年、新潟県佐渡生まれ。学習院大学文学部国文学科卒業。フォトジャーナリスト、新潮社『FOCUS』編集部などを経て、1987年に渡英。取材で行ったスコットランドで初めてスコッチのシングルモルトと出会い、スコッチにのめり込む。日本初のウイスキー専門誌『The Whisky World』(2005年3月-2016年12月)、『ウイスキー通信』(2001年3月-2016年12月)の編集長を務め、現在はその2つを融合させた新雑誌『Whisky Galore』 (2017年2月創刊)の編集長。1998年、ハイランド・ディスティラーズ社より「世界のウイスキーライター5人」の一人として選ばれる。著書に『シングルモルトウィスキー大全』(小学館)、『竹鶴政孝とウイスキー』(東京書籍)など。

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