富士通の“不可解な事件”と経営トップ--トップの仕事は「部下の働き」を曇りなき目で見ること
大将は、部下の働きを見たうえで、評価しなければ大将としての存在価値がない。部下の働きはろくろく見ないで、上のほうの派閥抗争や人事抗争のみに精力を傾けるようなことでは、その大将はすぐ滅びることになる。
戦に負けたら、「部下の働きのせい」にされたら、部下はその大将を見限り、敵のほうにつくことになりかねない。
負けた大将が、次々に出世していくようなことはどうあれ成立しない。
いまの日本の企業の停滞や低迷は、戦国期のように本当に盛衰をかけて競争をしていないためではないか。競争していないから、業績が悪くても「社員の働きのせい」にして、自分は役員の人事権を握り続けるというようなありえないことが残存できる。
本気で競争していれば、CEO(最高経営責任者)の経営能力、経営責任は厳しい評価にさらされざるをえない。日本経済のサバイバルは、企業間の競争を巻き起こすことから始まるのではないだろうか。
(東洋経済HRオンライン編集部)
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