父親は「問題に向き合わないタイプ」でした。「父親の足音が聞こえるだけで母親がパニックになる」ので、最初は亜希さんと妹で両親が顔を合わせないように対応していましたが、亜希さんが10歳の頃から父親がアパートを借りて家を出て、そのまま現在にいたるということです。
母親自身も幼少期に自分の父親からひどい虐待を受けており、そのことを亜希さんに繰り返し語っていました。勉強中でもなんでも、つねに聞き役を求められるのは負担でしたが、「うるさい」などと言えばまた暴れだしてしまうので、「とにかくひたすら我慢」して聞き続けていたといいます。
病院で母親が受けた診断は、うつ病、パニック障害、境界性パーソナリティー障害など。とくに、亜希さんが小学校高学年だった頃は「キレやすく、毎日が地獄のようで、包丁や放火にビクビクしていた」と振り返ります。しかも母親からは宗教的な虐待もあり、さらに両親からの性的虐待もあったとのこと。
母親の症状が悪化したきっかけのひとつは、祖母との同居でした。虐待を受けていたときに助けてくれなかった祖母に対し、母親は当然よい感情をもっていなかったのですが、その祖母がアルツハイマーになったのです。事情により数カ月間、亜希さん一家と同居したところ、「母の暴動が毎日のように起き始めた」のでした。
「携帯で電話がかかってきて『今、どこどこのビルの屋上にいるから』とか。電話越しに『そんなこと(飛び降り)しないで』と言って、とにかく説得して帰ってきてもらったりして。靴も履かずに探しに行ったこともありました。あとは刃物で手首を切ったり、家の2階のベランダから飛び降りたり。死ぬとかじゃないけれど、骨折とか。母としては、いっぱいいっぱいだったようです」
ときには家族に激しい他害行為をして、警察を呼ばざるをえないこともありました。
「でも母は、自分がしたことを全部なかったことにしちゃうんです。事実をすり替えちゃうし、平気でうそをつく。でも、本当に記憶が入れ替わっているんだと思うんです。だから、母がひどいことをしたから私たちが警察を呼んだんだといっても、自分が被害者だと思っているので、話がまるで通じない。警察の方には親子げんかだと思われてしまうので、児相などに保護されたことは一度もなく、ただ耐えるしかありませんでした」
「地域に知れわたるほど」の激しいいじめを受け…
家事全般も、小学生の頃から亜希さんが担っていました。母親の症状が最も重く寝たきりだった頃は、トイレや食事の介助までしていたといいます。母はパニック障害でもあったため、電車に乗る際や、通院、買い物に付き添うこともたびたびありました。
このように家ではつねに神経を張りつめていた亜希さんでしたが、中学校では「地域に知れわたるほど」の激しいいじめも受けていました。2年生のときに転校したものの、転校先の中学でもいじめのことは知られており、再びいじめられるようになってしまいます。
ストレスの影響か、亜希さんの心身にはだんだんと異変が出てきました。パニック障害になって動悸がしたり、唾液恐怖(唾を飲むことが気になる)になったり、ヒステリー球(のどから食道にかけて詰まった感じがする)の症状が出たりするようになったのです。
高校は近くの進学校に入ったのですが、次第に教室にいるだけで「動悸や唾液のことで頭がいっぱいになって、足裏に脂汗をかいたり、全身に冷や汗をかいたり」するように。もう、勉強どころではありませんでした。
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