事業仕分けの仕掛け人、現場の風を官に吹かせた--加藤秀樹・行政刷新会議事務局長
やがてPR作戦が奏功し、主要全国紙すべてが社説で設置法の問題を掲載。98年7月、中央省庁改革基本法の付帯決議に制度の抜本的見直しが盛り込まれ、99年、省庁再編の際、各省の新設置法からは権限規定が削除された。加藤とともに設置法見直しに奔走した飯尾は「役所の権限規定という問題を世の中に知らしめたことが大きかった。企業にも不透明な行政指導の問題点を理解してもらうきっかけになった」と振り返る。
公益法人制度の改革実現には9年かかった。公的サービスの官に替わる民の担い手として登場したNPO。その多くが法人格を持たず、活動が制約されていた。そこで構想日本発足と同時にNPO法案を発表。さらには公益法人についても、民法改正と寄付税制の大幅緩和を提言。その後、機会をとらえては国会の決議や閣議決定に盛り込まれるよう働きかけを続け、06年の公益法人制度改革関連法3法成立の下地を作った。
こうした目に見える実績以外にも、構想日本には大きな戦果がある。上山の言う「官僚に与えた影響」である。「当時、設置法などという役所の根幹にかかわることを言い出す人はほかにいなかった。構想日本のプロジェクトの下に、表には出られない官僚が集まった。役所にいても別の立場からやりたいことができる。そういう加藤の姿に感化されて、役所を辞めた官僚は多い」。
松井官房副長官も当時、構想日本に出入りしていた一人だった。「みんな個人の資格で参加して、純粋に政策についての議論をする。ノンパルチザンで議論をする場は構想日本が先駆け。一人ひとりの世の中を変えたいという熱意を、加藤さんがうまくコーディネートしていた」。
官と民の役割分担 壮大な思考作業
戦果をつくった加藤が、行政に「現場」の視点を吹き込んだのが、事業仕分けである。
「行政改革、地方分権の議論をいくらしても改革は遅々として進まない。いっそ自治体の予算を一つひとつ洗い出して、必要かそうでないかを見ていったほうが早いのでは」