事業仕分けの仕掛け人、現場の風を官に吹かせた--加藤秀樹・行政刷新会議事務局長
周りの空気で公務員受験 ネットワークの組織者
「政治家でも官僚でもない」立場から政策実現を図ろう。1996年、加藤は46歳で大蔵省を離れ、構想日本を旗揚げした。2006年には東京財団会長に就任。一貫して政策提言に携わってきたが、加藤の活動領域はそこにとどまらない。
民主党や自民党の政治家を集めた「塾」を定期的に主催する一方、地元の香川県では古民家を集めた野外博物館「四国民家博物館」(四国村)の理事長を務め、田舎の魅力を再発見するプロジェクトにも携わる。
幅広い活動に通底するのは、加藤本人によれば、「人の幸せとは何か」「それを実現する世の中、国の形とは」という思いだ。青臭いとも言われかねない純な思い。エリート官僚という出自と、どう結び付くのか。
一つは、大蔵省を退職して見えた社会の広さだ。大蔵省時代は最優秀とされる金融マンにも、ほとんど会えた。「それだけで社会全体がわかった気になる。が、大蔵省を辞めたら、それがいかに狭い世界だったかと実感した」。世の中には、肩書も学歴もなくても立派な人、教養のある人がたくさんいる。多種多様な人々がそれぞれ一生懸命生きている。「幸せ」は「お上」が考える一律なものではない。「そこから幸せとは何か、そのために政治や行政はどうあるべきか、いろんなことを考えた」。
もう一つは、父親の存在である。父達雄は家業である運送業の経営者だったが、50歳を過ぎて古民家の野外博物館「四国村」を開設した。もともと高齢従業員の第二の職場として、うどん屋を開業するつもりで古民家を物色したが、その過程で古民家が次々と潰されている実態を知り、保存活動に乗り出したという。
従業員の「幸せ」を思った父がたどり着いたのが、民家の「仕分け」だったといえる。「父は長い目で見て、何を残すべきか、何を捨てるべきかを考えた。われわれ一人ひとりが世の中に本当にいるもの、いらないものは何かを考えなければ」。
だが、加藤は当初から行政や政治に関心が高かったわけではない。