事業仕分けの仕掛け人、現場の風を官に吹かせた--加藤秀樹・行政刷新会議事務局長

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静かな男の熱さ 官僚へのインパクト

加藤の志で、97年、構想日本はスタートした。実現に向け、静かな男の熱い一面が明らかになった。

シンクタンク設立には、まずスポンサー探しである。従来のシンクタンクは、特定の企業や役所の委託を受けるヒモつきシンクタンクがほとんど。しかし加藤は、あくまで独立した立場で政策提言し、実現に結び付けるために、趣旨に賛同した企業や個人の会費で賄おうとした。

山田が振り返る。「加藤は財界人を回って資金を集めてきた。年配の人をうまく取り込む力があった」。
とかく頭が高いと言われる大蔵官僚だが、加藤は頓着せず走り回った。

そして、もう一つの熱さ。目指したのは、単に政策提言だけのシンクタンクではなく、法律改正など具体的な成果に結び付ける実戦部隊である。

構想日本が提言や働きかけをして、法律改正など実現に至った事例はこれまでに20件ほど。その初期の例として省庁設置法の見直しと公益法人制度改革がある。省庁設置法とは、官庁の活動や事業の根拠になっている法律。一般にはなじみが薄いが、同法が存在することで役所には幅広い裁量権限が与えられており、加藤によれば「大きな政府」の温床となっていた。官と民の役割を見直すには、まず設置法を改正し、権限規定を取り払わなければならないと考えた。

しかし、加藤も構想日本も当時の知名度はゼロ。モデル法案を作り、大枚をはたいてホテルで発表会見を開いたが、やってきた新聞社は1~2社程度。思い知らされた。「いくらいい政策を作っても注目されない。メディアというのは、政策の中身には関心がないのか」。

が、あきらめなかった。猛烈なキャンペーンを開始する。メディアや有力議員への説明に奔走し、衆議院の行政改革特別委員会で参考人として意見を述べた。構想日本スタッフによれば、「あらゆる階層のオピニオンリーダーのもとに出向き、説明し続け、理解を求めた」と言う。

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