マンガ「釣りキチ三平」が秋田で生まれた理由 2020年11月に永眠した矢口高雄氏が遺したもの

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「寒さが厳しくなると、スズメは羽毛を立てて体全体をぷっくり膨らませる。その姿が何ともいとおしい。小さな体が『寒さなんか吹き飛ばせ』というメッセージを帯び、エネルギーをみなぎらせていった。寒スズメはいつだって負けずに活発に動き回る。まるで三平くんのようだ。雪国でたくましく生きる人たちの心象風景や力強さを投影させた」

香典返しとして届いたクオカードには「寒スズメ」のイラストがあしらわれていた (筆者撮影)

矢口氏の故郷である秋田県横手市は、毎年2月に開催される伝統行事「かまくら」が有名だ。小正月に行われ、雪をかためて作った室の中で、子供たちが甘酒や餅を振る舞う。矢口氏はかまくらを、観光用ポスターに請われて描いたことがあったが、実は乗り気ではなく、改めて「寒スズメ」を描いた経緯があった。

「かまくらは、屋根からの雪下ろしで軒下にたまった雪を再利用しただけ。その雪も、屋根からそりを滑らせて降りるためにためて固めたもの。僕にとってはつらい雪下ろしの記憶のほうが先に立つ。雪を子供の頃から恨み呪ったことが、故郷を出てマンガ家を目指す原動力にもなった」

「釣りキチ三平」の中には、三平と一緒に雪下ろしをする祖父・一平が「雪国でうまれ、雪国でそだち、雪国でくらすひとたちにとっての雪はそんなにあまっちょろいもんじゃねえ‼」「つめたくってさむくってつらいもんだ…‼」と話す。矢口氏の本音だろう。

「権威あるもの」への複雑な思い

矢口氏は1939年に現在の横手市にある旧増田町狙半内(さるはんない)という、奥羽山脈の麓にある狭隘な集落で農家の長男として生まれた。農作業の手伝いをしながら手塚治虫に魅せられてマンガ家を志す。

優等生で、苦学して県立高校に進学するが、通学路は片道20kmの自転車通い。冬場は雪に閉ざされるため、高校のそばでの下宿が必須となる。学費と下宿代を捻出するために母と励んだのが、夏の「葛の葉」とりのアルバイトだった。

乾燥させた葉は冬場の牛馬のエサとなる。当時は農機具が普及しておらず、牛馬を使える農家は裕福だった。「高校生活は1杯のラーメンも食べず、修学旅行も不参加だった」。いずれも矢口氏にとっては、雪にまつわる「思い出したくない記憶」だったようだ。

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