マンガ「釣りキチ三平」が秋田で生まれた理由 2020年11月に永眠した矢口高雄氏が遺したもの

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矢口氏は「釣りキチ三平」のヒットの後、子供時代から高校までの生活、卒業後に地元の銀行に就職し、辞めてマンガ家になるまでの人生を振り返る作品を残している。しかし実は高校時代だけが抜けているのだ。

「記憶がなぜか飛んでしまっている。親たちの期待に沿いたいと必死でよい子になろうとしていたトラウマがあったのかもしれない。今でいう『アダルトチルドレン』だった」

故郷の古い友人である小西晋吉氏は、矢口氏が帰郷するたびラーメンを一緒に食べに行った。「高校時代に食べられなかったラーメンを、恨みを晴らすために食べてやるという感覚だったと思います」と振り返る。豪雪、富裕な農家、貧しかった自分の境遇を「見返してやりたい」といったコンプレックスの裏返しがあったはずだ。

白土三平と手塚治虫に影響を受ける

矢口氏は村で初めて高校を卒業し、同じく村で初めて銀行に就職した、いわば「村のエリート」だった。

しかしながら妻子を得ながらもマンガ家の夢を断ちがたく、新人の登竜門的存在だった『月刊漫画ガロ』への投稿を重ねて、30歳で脱サラして上京する。退職の直接の引き金は、支店の上司に「マンガなんかにうつつを抜かすようではロクなもんにならない」と言われたから。

横手市増田まんが美術館のリニューアル初日(2019年5月1日)のにぎわい (筆者撮影)

昭和40年代当時、マンガは「悪書」であり「読むとバカになる」といわれるほど地位は低かった。銀行員時代の矢口氏は、「カムイ伝」など、農村を軸に江戸時代の階級社会を描いた白土三平に心酔しており、絵のタッチも白土氏に影響を受けた力強いものに変わっていた。最初に魅せられた手塚治虫は、マンガの素晴らしさを訴え、その評価を上げるべく積極的に発言していた。2人の大マンガ家が持っていた反骨精神を、矢口氏も体現していくことになる。

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