しかし、オデュッセウスはどうしても諦めきれず、仲間を説得すべく、熱い演説をする。彼の魂が閉じ込められた火炎は、くねくねと翻りながら、ダンテとウェルギリウスの前にそのスピーチを見事に再現してみせる。
perigli siete giunti a l‘occidente,
a questa tanto picciola vigilia
d’i nostri sensi ch’è del rimanente,
non vogliate negar l’esperienza,
di retro al sol, del mondo sanza gente.
あなた達はここまでたどり着いたのだ。
残りわずかになった人生の最後のきらめきとして
太陽を背に、人のなき世界を知ろうとする
またとない機会を放棄するつもりなのか。
fatti non foste a viver come bruti,
ma per seguir virtute e canoscenza".
猛獣のように生きるべく生まれてはいない、
徳と知を求め続けるためにこの世に生まれてきたのだ。
エネルギーを取り戻したおじいさん軍団だが…
パッションあふれる言葉にまどわされたじいさん軍団は、一瞬にして若さを取り戻し、中からじわじわとエネルギーがみなぎるのを感じて、早速ポストにつく。そして、門を突破することに成功して、しばらくアフリカ沿岸を南方に進んでから、黒い山の輪郭がかすかに現れ始めたのだ。
しかし、その発見を喜ぶ暇もなく、船体が急な荒波にもまれてあっけなく浸水し、全員即死。見えていたのは、後にダンテが訪れることになる煉獄の山であり、神様はそこに近づこうとしていた彼らの大胆な行動を許せず、高い波を起こして死なせたわけである。言うまでもなく、その悲惨な顛末の責任は、すべてオデュッセウスにある。だからこそ、彼が誰よりも重い罰を科せられている。
私のつたない訳ではいっさい伝わらないが、オデュッセウスが唱えるその簡潔な言葉は、聞いている人の胸を打つ力がある。君こそ特別だよ、という悪魔のささやきは人間の自尊心をくすぐり、誰だってコロリとだまされる。
日本人なら、「春はあけぼの」や「いづれの御時にか~」をみんな知っているのと同じように、イタリア人なら、上記の引用文の最後の2行を誰でも必ず覚えている。特別に暗記させられるわけではないが、一度聞いたら脳裏にこびりついて離れない名言だからだ。