ダンテの無茶な注文に辛抱強く付き合っているウェルギリウスは仕方なくそれを許すが、相手はギリシア人だし、自分が話して通訳したほうがいいとアドバイスする。あの世を旅している時点で、すでにぶっ飛んだファンタジーになっている『神曲』だが、ギリシア語がわからなかったダンテは、妙な言語的なこだわりを見せて、さりげなく現実味のある段取りを仕込んでいる。それから役割分担がスムーズに決まり、オデュッセウスの素晴らしいモノローグがスタートする。
ところが、ギリシア神話になじみのある人だったら、オデュッセウスはなぜ地獄行きになったのか、という疑問を持つはず。確かに、彼が思いついたトロイの木馬のせいで、たくさんの人が命を落とした。しかし、戦争だったし、1人で戦ったわけでもないし、『イーリアス』にはそれよりもっと残虐なことをしてしまった兵士がいっぱい登場してくるではないか。
むしろ、ヨーロッパの伝統において、オデュッセウスは勇気を具現化するヒーローとして考えられてきて、さまざまな形で実に多くの芸術作品に出現しており、そのイメージは至ってポジティブ。では、ダンテはなぜ彼を厳しく罰しているのだろうか。
再び旅に出てしまったオデュセウス
その理由は、『イーリアス』と『オデュッセイア』の内容とほぼ関係なく、さらなる神話に由来しているのだ。10年もの長旅の末、オデュッセウスはやっと帰国を果たして、妻子と再会し、奪われかけた権力を取り戻す場面で『オデュッセイア』は華々しく幕を下ろすが、ダンテ曰(いわ)く、彼はその後再び旅に出たという。
小さな島での穏やかな生活に嫌気が差したのか、オデュッセウスは冒険恋しさでうずうずしていたそうだ。そして、気のおけない仲間を集めて、またしても船に乗って、海へと飛び出した。
数ある困難を乗り越えて、部下がバタバタと死んでいく中でも、英雄はなお好奇心に勝てず、神が越えてはならないとしたヘラクレスの門(ジブラルタルの海峡の最も狭いところ)を突破して先に進もうとする。それが世界の終わりだと当時思われていたので、残されたクルーはやはり躊躇し、気分が乗らない。彼らは、過酷な戦争と長年の放流を体験した後、また海に駆り出されていたのだ。
もともとは体格がっしりの兵士だっただろうが、今や疲れ果てた、ただのヨレヨレのおじさんたちに過ぎず、身を危険にさらすのはほどほどにしたい、と願っていたはずだ。
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