3兆円を運用する会社社長の「お金と夢」の哲学 フットサル元台湾代表と金融マンの顔を持つ男

著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

高いレベルのサッカーに触れたいと考えた時国は中学時代にFC町田ゼルビアのユースチームのセレクションを受けて合格。のちに日本代表としてプレーした阿部勇樹、佐藤寿人、佐藤勇人らが所属するチームと対戦するなどの機会にも恵まれた。着々と実力を蓄え、高校2年生になって慶應義塾湘南藤沢高等部のサッカー部に入部。全国高校サッカー選手権出場を目指す。

高校3年では「途中から“外様”で入部した」にもかかわらず主将に選ばれてチームを率い、多くの強豪校がひしめく神奈川県予選を勝ち抜いて決勝トーナメント進出を果たしたものの、トーナメント初戦で桐蔭学園に敗戦。全国行きの切符を勝ち取ることはできなかった。

だが、このときの活躍が台湾にも知れ渡り、2000年に開催されたFIFAワールドユース選手権のアジア予選に出場するU-19(19歳以下)代表に日本から招集されたのだ。

外資系金融マンとして華々しい経歴を誇る(写真:時国氏提供)

それでも初志貫徹。いずれかの時点でサッカーの世界に戻る考えはあったが、大学時代の4年間は卒業後にビジネスで身を立てるための準備に充てた。そのかいあって、ゴールドマンサックス証券に就職。日本法人で戦略投資部に配属され、投資先企業の価値分析などを手がけた。同社に5年勤めた後、投資ファンドのべイン・キャピタルへ転職して2年間勤務した。

その後、イギリスのロンドン・ビジネス・スクールで経営学修士(MBA)取得を決断した。これとともにサッカー復帰計画が動き出す。MBAだけでなく、イングランドサッカー協会(FA)のコーチングライセンスを取ろうと考えたのだ。ビジネススクールの1年目にMBAの勉強を片付けてしまい、2年目はコーチングライセンス取得に傾注しようともくろんだ。

そうした野心を抱いて渡英し、ビジネススクールに通い始めてから2カ月後、1本のメールを受け取る。「日本株のアナリストをやらないか」というオービスからの予期せぬ誘いだった。なぜ、このときメールが届いたのかは「いまだに謎」だ。

オービスの運用哲学に感銘を受けた時国は、「日本へ進出しませんか」と逆提案して創業者と意気投合。ビジネススクールの2年目に同社でインターンとして働き始めた。

ビジネスでの成功、いよいよ選手復帰へ  

サッカーでも転機が訪れる。コーチングライセンス取得時の合宿で実技試験が行われた際、同じ受講生だったナイジェリアの五輪代表の監督が「お前うまいじゃないか。まだ、(現役で)やれるよ」と声をかけてくれた。この言葉がきっかけとなり、選手復帰への思いがふつふつと沸き上がる。

当時はすでに30歳をすぎていたが、合宿の半年後にイングランドのフットサルリーグのセレクションがあると聞いて挑戦を決意。でも、なぜフットサル? 「香川真司や吉田麻也のようにイングランドのサッカープレミアリーグで自分がプレーする姿をイメージすることはできなかった」。

次ページ選手と外資系金融マン、二足のわらじ生活
関連記事
トピックボードAD
ライフの人気記事