オフィスビル1階、13坪の小さな書店で
5月に日本に帰省する機会があった。その際に二村さんは、彼女の店で僕のトーク・サイン会を催してくれた。「作家さんとの集い」と題された催しで、ホームページで調べてみると、過去に名だたる人たちが招かれていて驚いた。
たとえば『永遠の0』『海賊とよばれた男』の百田尚樹さん。『がんばらない』の鎌田實さん。そしてシンクロ日本代表コーチの井村雅代さんなどだ。どんな書店なのだろうと、僕は楽しみにその日を待った。
当日、隆祥館書店に到着して、僕は2度驚いた。どう見ても普通の「町の本屋」なのだ。1000坪を超える大型書店まで登場する時代にあって、オフィスビルの1階にある彼女の店はたったの13坪。
人がすれ違うのも難しいほど狭い通路の両側に、床から天井までぎっしりと本が並んでいた。なぜか懐かしさを感じさせる、あの「本屋のにおい」が店中に漂っていた。
ふと、昔、近所にあった書店を思い出した。子どもの頃、『小学○年生』という雑誌の付録が楽しみで、発売日に貯金箱から取り出した500円玉を持ってその本屋に買いに走ったものだった。
どうして全国で毎年約500件もの書店が潰れるような時代にあって、こんな小さな「町の書店」が繁盛しているのか。そのうえに、どうして大物作家まで招くことができるのか。僕は興味を持った。そして、二村さんの話を聞くうちに、彼女にはさまざまなストーリーがあることがわかった。
店長は元シンクロナイズド・スイミング日本代表!
僕が店を訪れると、二村知子さんは、本のジャングルのような店の一角に置かれたレジの前に、背筋を伸ばして、にこやかに座っていた。真っ白なノースリーブに紺色のスカートをはき、長い髪の毛先をくるっと巻いていて、書店の店長というよりも、神戸の異人館街でカフェのオーナーでもやっていそうないでたちだった。きれいな人だと思った。そんな彼女の容姿は、何の飾り気もなく天井まで本が山のように積まれた店内の様子と、不思議な対比を成していた。
聞き上手な人で、どんな話でも、まっすぐに僕の目を見て、大きく相づちを打ちながら聞いた。彼女の実直そうな口調に、心地よい大阪弁のイントネーションが親しみやすさを与えていた。
彼女は小学2年生の頃からシンクロナイズド・スイミングに打ち込み、日本代表にまで上り詰めた。その過程で出会ったのが、井村雅代コーチだった。世間のイメージに違わずたいへん厳しい人だった。
「妥協は己の心にある」と言い聞かせ、決してあきらめることを許さず、目標が100ならば100以上のことをしなければならないと教えた。練習中はよく泣いた、と二村さんは言う。それでも努力が認められてAチームに抜擢され、環太平洋パンパシフィック大会に出たり、アメリカやメキシコに遠征したりした。
引退後に実家の書店を継ぐという気が、最初からあったわけではなかった。二村さんが子どもの頃は、書店は景気不景気関係ないと言われていた時代で、隆祥館書店も繁盛していた。影が差し始めたのは、20年ほど前、街中にコンビニができ始めた頃だった。自分にも何かできることがあれば、と思い、家業を手伝い始めた。
最初の5年ほどは前年比を維持していた。だが、それからどんどん、小さな町の書店には厳しい時代になっていった。規制緩和で大型書店が続々と駅前にでき始めた。アマゾンが日本に上陸した。何かをせねばならないことは明白だった。
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