拒食症だった彼女が「人気料理家」になった経緯 入院も経験したMizukiさんの背中を押したもの
読者から寄せられる悩みで最も多いのが、その日の献立を決めることだ。特にコロナ禍、「朝作ったと思ったら、お昼ご飯のことを考えて、食べたと思ったら夕ご飯の準備が始まる。1日中ご飯のことばかり考えて過ごしています」という声がたくさん届いた。
そうした悩みを抱える人たちに向けて投稿を続けている。「朝に投稿することで、朝のうちから『今日はこれを作ろう』と決めたらラクになってもらえる」と話す。自身は朝、レシピを投稿し、夕方まで新作提案のための試作を繰り返すルーチンを守ることで、精神の安定を保っているという。
もう1つ心がけているのは、「失敗しないレシピ」の提案だ。SNSで華やかな料理の投稿を見て自信を失っている人が多い、と感じていたMizuk氏はあるとき、インスタのストーリーズに、「鶏肉のほったらかし煮」のアレンジに失敗して焦げた写真をアップ。
「安心しました」「Mizukiさんでも失敗することがあるなら、私も失敗するはずだ」「気持ちがラクになりました」といったメールが大量に届いた。「失敗しないレシピを作り上げて提案するのが私の仕事なので、私が皆さんのかわりに失敗をしています」とMizuki氏は語る。
周囲の反応が料理をする手応えに
拒食症を経て料理を再開した頃、ベイクド・チーズケーキを作り続けていた。「味覚障害は残っていたのですが、作るたびに味見をしていました。だんだん味がわかるようになってきて、チーズケーキがすごくおいしいと思いました。今もたまに作ることがあるのですが、やっぱりおいしいなと思います」。
人が働き続けるには手応えが必要で、それは台所の担い手にとっても同じだ。食べられない苦しい時期を過ごしたMizuki氏は、だからこそ手応えを切実に必要としたのだろう。
高校生の頃は家族が感想を言ってくれた。お菓子を売り始めた頃は母親が、レシピを提案するようになってからは、祖母が忌憚のない意見を言ってくれる。Mizuki氏には、作った料理に向き合ってくれる家族が、拒食症を抜け出す最大の支えになった。そして、カフェの顧客になってくれた地域の人たちがいた。SNSで仲間ができたことも、大きな支えになっている。目の前にはいないが仲間となった人たちの存在が身近にいることが、とても現代的である。
一方で、Mizuki氏の向こうには、無反応で料理を食べる家族たちの存在も見え隠れする。
外食がままならないコロナ禍で、台所の担い手たちの悲鳴が大きくなったのは、たった1人で3食賄う大変さに加え、手応えが少ない人が多かったからかもしれない。料理をしてもらっている家族は、もっと感謝してもよいのではないだろうか。感想を伝えることは、台所の担い手の励みになると同時に、より上手になるためのステップでもあるのだから。
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら