拒食症だった彼女が「人気料理家」になった経緯 入院も経験したMizukiさんの背中を押したもの
もともと、料理の心得はあった。子どもの頃から母の台所仕事を手伝い、両親が共働きで忙しくなった高校時代には、レシピ本を参考にしながら家族のために食事の支度をしていた。拒食症で自分は食べたくないことから、かえって家族にはお腹いっぱい食べさせ、残してほしくないと願った。よく作ったのは、母が好きな肉じゃが。
24歳になって「何かを始めなければ」と思ったときも、まず料理をした。最初に作ったのはマフィン。目の前に並べたチョコレートやバターを、1人で食べてしまいそうで怖い。甘い匂いにパニックを起こしかけたが、母を喜ばせたい一心で毎日焼き続けた。
病院で販売すると売り切れるほどに
この頃、付き添いの母が通院先の病院内の売店で働く女性と親しくなっていた。その女性から、売店にお菓子を置かないか、と言われた。実はMizuki氏、食品を卸すために必要な調理師免許を持っていた。
入院中は食べ物のことが頭を離れず、レシピ本を読み、食品成分表を調べて食品のカロリー計算をくり返していた。Mizuki氏は「栄養のことや食品のことをすごく追及して調べたので、調理師免許の試験を受けたら受かる、と思い資格を取っていました」と語る。
高校時代から手伝いを頼まれ、すし屋で厨房のアルバイトをして総菜やデザートを作った経験もあった。売店に卸したマフィンは、初日の24個は午前中で売り切れ、継続して卸すことになった。
お菓子の販売はMizuki氏にとって、渡りに船の提案だった。やせた身体を人に見られたくない、同情もされたくない、と対人恐怖も強くなっていたからだ。「人とちゃんとしゃべれないし、しゃがんだら立ち上がれない。仕事はしたいけれど、外に働きに行くことはできず、家でできることと考えたら、料理しかないと思っていました」とMizuki氏は振り返る。
しばらくすると、母の友人から会食に誘われ、勇気を出して母と3人で会ったときに、「カフェをやってみるのはどう?」と持ち掛けられた。ちょうど仕事を辞めたばかり、という幼なじみが接客を引き受けてくれ、一緒にやることになった。
小さな町の人たちは、Mizuki氏の病気をすでに知っていて、心配してくれていたのだろう。2012年11月に開いた「31CAFE」は開店前にたくさんの花が届き、当日は開店前から行列ができ、人気店になる。厨房にいると、「おいしいね!」と喜ぶ客の声も聞こえる。自信をつけたMizuki氏の心から、対人恐怖が次第に薄れていく。
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