渋沢栄一は何した人?偉業が目立たない深い訳 同時期に活躍した岩崎弥太郎とは対照的
第二帝政期のフランスというのは、ものすごく産業振興に力を入れて、流通機能、鉄道、道路網が発展し、これから銀行が建ち並んでいくという勢いを感じさせるところでした。そうした中で、人、モノ、金が行き交う基盤が確立されていた。それを見た渋沢は、「あれ、どっかで見たことあるぞ」と思ったのではないでしょうか。
現地では、軍事施設を案内し、近代的軍隊について指導してくれる軍人たちもいました。日本では武士階級が政治と軍事を司っていたのですから、それに共鳴してもおかしくはなかった。しかし渋沢は違いました。国を強くするには、政治や軍事よりも基盤となる経済を確立させなくてはならないと思ったのです。
軍人たちの力量が国を繁栄させるとは考えられなかったのでしょう。ヨーロッパでの経験は、「官尊民卑を打ち破らなければならない」という渋沢の思いをさらに強めていきます。
――大河ドラマの放送に合わせて、自伝や『論語と算盤』『渋沢百訓』など渋沢の著作を楽しむためのおすすめの方法はありますか。
書籍から知れるのは、渋沢自身が語る人生ですよね。一方ドラマは、第三者が脚本を書き、俳優さんがそれを演じていきます。本とドラマの両方をオーバーラップさせて渋沢をとらえていくと立体的な深みが出てきて、より具体的に渋沢の人生を理解できるのではないでしょうか。
ただ、次のようなエピソードも残っているので紹介しておきます。晩年期、他人の手による伝記が複数出始めるのですが、人からすすめられて渋沢はそれらの中に浮薄な文章があるのを見つけると、正誤を正すことに着手しました。
たとえば、一橋家仕官時代に土方歳三らの新撰組隊士を従えて、国事犯の嫌疑をかけられた薩摩藩士を捕らえに行った場面について間違いを指摘しています。文中では、あたかも渋沢自身が武道の技を繰り出して相手を捕縛し、土方に突き出したような武勇伝風の描写がなされていたのです。これを読んだ渋沢は、「ここまでのものじゃなかったよ」と言い、自ら訂正を加えています。
実際のところは、訪れた先の客間で用件の申し渡しをし、相手はそれを聞き入れたので門口で待っていた土方に身柄を明け渡しただけだったようでした。自身のことが誤って伝わっていくのが嫌だったのでしょう。
渋沢栄一という人物を知るにあたり、本を先に読むほうがいいのか、ドラマを見てからにすればいいのか……。難しいところですね。順番はどうあれ、本とドラマの両面から渋沢が世の中に送り出したいと願ったメッセージが伝わればいいなとは思っています。
(取材・構成 野口孝行)
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