日本人に知ってほしい芸術家が育つ土壌の価値 作品の芸術性と価格にどんな相関関係があるか
――オークションでは、なぜ予想だにしない高額落札が起こりうるのでしょう。
オークションのようなセカンダリーマーケットにおいて、値段をつけるのはお客様なんです。ギャラリーでも、サザビーズやクリスティーズといったオークション会社でもない。オークション会社は、落札予想価格を事前に示しますが、これはあくまでも公正にオークションを始める価格であって、作品の価値を示すものではありません。オークションでは、その作品を欲しい人が複数いたら競争になって、彼らの懐具合によってどこまで入札価格を上げられるかで決まる。
一般的には、プライマリーよりもセカンダリーの価格が高ければ、それは「付加価値」ということになる。重要なのが、こうしてアートを買う人たちが出すマネーというのはどういう性格のものなのかを考えることです。
ギャラリーにも投資マネーが入ってくる
――アート市場に投じられるマネーには、性格の違いがあるのですか。
最近では、アートもほかの金融資産と並列的に語られることが増えてきましたね。投資的なマネー、そして中には投機的なマネーもあります。
オークションだけでなく、ギャラリーにも投資的なマネーは入ってきますよ。「もしかしたら、将来大物作家になるんじゃないか」という期待によるものです。
そして、もう1種類のマネーが、作家を育成し、育て上げるために応援をする、パトロネージュのためのマネーです。その人の才能をサポートするために、買い支えるのが彼らの目的です。この3種類のマネーを分けて考えないと、話がこんがらがる。
問題なのは、投機的なマネーを投じる人が見ているのが値段ばっかりで、芸術性が忘れられていること。例えば、奈良美智が20年前にはいくらだったのに、今はこれくらい高くなった、といった。ここでは、作品の持っている芸術的な価値や、歴史的な位置づけといったことは語られません。興味すらない場合もあるでしょう。だから、投機というのはマネーゲームなんです。私は、アートは色のついた株券ではないとずっといっている。
でも、投機的なマーケットから見たら、僕の言っていることはきっとナンセンスなんでしょうね。「ギャラリーの本質は株券の販売。株よりもっといいよ。なぜなら現物が残るのだから」と。
――アートが株券のごとく投機的に扱われるようになったのは、歴史的にいつからなのでしょう。
今から100年以上前に、現代アートの嚆矢(こうし)ともいえるマルセル・デュシャンという作家は皮肉を込めてこう予言しました。
「われわれには貨幣に代わるものがたくさんある。貨幣としての金、貨幣としてのプラチナ、そしていまに、貨幣としてのアートだ!」
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