こんまり夫が「市長になる夢」諦め目指す高み 猛烈営業マンから妻のプロデューサーに転身

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その場で返事をすることができないまま、川原は会社を出た。そして、近藤さんに上司の反応も含めて話をした。会社を辞めるという選択肢を考えていなかった川原は深刻に捉えていたが、近藤さんはいつもの軽やかな笑顔で「よかったじゃない!」と喜んだ。

え!? 近藤さんのリアクションにも困惑した。ふたりは結婚の約束をしていたから、川原が会社を辞めるのは、ふたりにとってのリスクでもある。なにより、これまで自分が必死に培ってきたものを手放すのは、怖くて仕方なかった。「コンサルタント」としてレベルアップして、頑丈な鎧と武器を手にしたのに、そのすべてを捨てて、素っ裸ですごろくの振出しに戻るような心細さを感じた。

返事に困る川原に、近藤さんはこう告げた。

「大丈夫。卓巳さんは、たくさんの人の役に立てる力があるから。それに、もしすっごく失敗しても、私が片付けのレッスンをすれば、生活費はなんとかなる。究極はそこに戻るだけだから、大丈夫だよ」

この言葉を聞いた瞬間、なんともいえない温かな感情が胸に満ちてきて、同時に腹の底からやる気がみなぎるのを感じた。

この瞬間から、“こんまり”と川原卓巳の二人三脚が始まったのだ。

「こんまり」を通して日本一を世界一に

2013年に会社を辞めた川原は、“こんまり”を世界にプロデュースすることに専念し、2016年には、その最短距離を進むためにアメリカに移住した。その結果は、冒頭に記した。

今年は、川原にとって新たな挑戦の年になる。

「“こんまり”を通して、僕は日本一を世界一にすることができました。これは、たくさんの人が目指してきて、なかなか実現できなかったことだと思います。僕は幸運なことにもそれができたから、僕が作った道、開いたドアにより多くの人を案内したいと思っています」

2019年のアカデミー賞授賞式に招待された際、 レッドカーペットに向かう前に自宅で撮影(写真:川原さん提供)

昨年、日本に一時帰国した際に、川原は青森から鹿児島まで、6000キロを移動した。それは、“こんまり”に続いて日本一から世界一になりうるものを探す旅だった。その過程で、確信した。

日本には、ポテンシャルがあふれている。

唯一の課題は、広く、わかりやすく、興味を持ってもらえるように伝えること。それこそ、プロデューサーである川原の得意とすることだ。

川原は、近藤さんについて「すごく才能があるけど、人間としてはむちゃくちゃ偏っている職人タイプ」と表現する。その近藤さんの「らしさ」を大切に育て、輝かせることで、世界のどこにも存在しなかった「片づけのスター」が誕生した。

日本から、第2、第3の“こんまり”を登場させることができれば、ステレオタイプではない、新しい生き方や仕事を世に広めることにもつながる。それは、18歳の川原が見たかった世界だ。

川内 イオ フリーライター

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かわうち いお / Io Kawauchi

1979年生まれ、千葉県出身。広告代理店勤務を経て2003年よりフリーライターとして活動開始。2006年夏、バルセロナに移住し、スペインサッカーを中心に各種媒体に寄稿。2010年夏に帰国後は、編集者としてデジタルサッカー誌編集部、ビジネス誌編集部で勤務。2013年6月より、フリーランスのエディター&ライター&イベントコーディネーターとして活動中。スポーツ、旅、ビジネスの分野で輝く才能やアイデアを追って各地を巡る。

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