こんまり夫が「市長になる夢」諦め目指す高み 猛烈営業マンから妻のプロデューサーに転身

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市長の代わりに、新しい目標ができた。川原がついていた議員の支持者の多くは、経営者だった。彼らは自分の裁量でお金を動かし、意志を決定していた。議員という仕事の不安定さを肌身で知ったからこそ、地に足をつけてそれぞれの領域で活躍する経営者の姿に憧れた。

「自分で稼げるビジネスマンになろう」

大学3年生の秋、川原は就職活動を始め、ビジネスコンテストにも出場するようになった。この頃に出会ったのが、近藤麻理恵さんだ。友人が主催する就職活動を終えた人たちが集まるイベントを手伝いに行ったとき、近藤さんは参加者として会場に来ていた。

ふたりは会場のエレベーターの前ですれ違い、共通の友人の紹介で名刺を交換した。その名刺には「片づけコンサルタント」とあり、川原はワンピースにジャケットを着た小柄な女性に惹きつけられた。近藤さんも、「夢」というピンバッジをつけた川原に、興味を持った。それから、ふたりは友人のひとりとしてメールでやり取りをするようになった。とはいえ、ふたりの距離が縮まるのはもう少し先の話だ。

2007年、大学を卒業した川原が就職したのは人材教育を手掛けるA社。友人に「向いてるかも」と勧められて会社説明会に行ったときに、ただならぬ熱気を感じ、入社を決めた。「ヒト」を扱う仕事というのも、決め手のひとつだった。

「ビジネスはヒト、モノ、カネ、情報をうまくマネジメントする必要があるんですけど、僕はもともとヒトに興味があったし、アルバイトやインターンを通して、いちばんマネジメントするのが難しいと感じたのもヒトでした。だから、まず最初にヒトのプロフェッショナルになれたら、何者かになれるんじゃないかと思ったんです」

やる気に満ちた近藤さんからの電話

人材教育を通して少しでも世の中をよくしようとモチベーションは高かったが、働き始めてすぐ、現実に叩きのめされた。仕事は、3日で18万円するセミナーの営業。電話帳を渡され、1日200軒に電話をかけ、断られ続けた。

1年目の途中で、同期入社の半数以上が姿を消した。川原が辞めなかったのは、「結果を出さずに、尻をまくって逃げたくない」という思いだけだった。

この時期、人材紹介会社に就職し、中小企業向けの中途採用の広告営業をしていた近藤さんから、電話があった。簡潔に言えば、「営業でトップになりたいから、お客さんを紹介してほしい」という内容だった。

「この人、すごいな。俺、人にお願いしてまで、1位を取りたいって思ったことないわ」

入社してから数カ月で「自分にこの仕事は向いていないのかもしれない……」と投げやりになっていた川原は、やる気満々の近藤さんに驚いた。それなら応援しようと、なけなしの顧客リストのなかから、人材採用を必要としていそうな経営者を紹介した。その後、近藤さんは、見事にトップに輝いた。

しかし、川原は相変わらず、くすぶっていた。超低空飛行が上昇したのは、1年目の終盤。人事異動で女性の上司に代わると、目をかけてくれるようになった。その上司はまもなく退職することが決まっていて、「やりたいようにやってみたらいいよ」と言ってくれた。「せっかく目をかけてくれているのに、結果を出せないまま見送るのはイヤだ」と奮起した川原は、自分なりのやり方でやろうと決めた。

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