資金・部員不足で窮地「大学新聞」学生らの苦闘

コロナ禍も追い打ち、それでも続ける理由

大学新聞の歴史は古い。日本初の大学新聞は1917年に創刊された慶應義塾大学の「三田新聞」といわれる。その後、東京帝国大学や早稲田大学、日本大学など戦前にいくつもの大学で学生の手による新聞が発刊された。

戦後は学生運動の高揚とともに各地の大学で次々と創刊が続く。全日本学生新聞連盟の史料によると、1966年時点の「加盟新聞名簿」には、133の大学新聞が載っている。今ほど大学数が多くない時代であり、未加盟の新聞があったことを考えれば、実際はさらに多かったとみられる。「名簿」には、「共立女子大学新聞」「神戸女子学院大学」などの女子大、「新潟大学高田分校新聞」「別府大学新聞」といった地方の大学も少なくない。

ただ、一世を風靡した大学新聞はその後、衰退を重ねた。多くの媒体は消えてしまい、かろうじて生き残った大学新聞もかつての批判精神を失って大学のPR媒体になったり、資金難に直面したりしている。若者の「紙」離れにより、大学新聞の購読者自体が減少してきたうえ、部員数も右肩下がりが止まらない。

コロナの感染拡大前から窮地に立たされていた

上智新聞の場合、山田さんの学年はわずか3人しか残っていない。彼女が入部した当初はおよそ30人もの部員がいたのに、である。昨年8月まで「編集長」だった齋藤由季花さん(総合グローバル学部・3年)は、残った3人のうちの1人だ。昨年8月に代替わりした。

「前年度の幹部構成を参考に、私たちの代ですと上智新聞編集局の幹部は当初、局長が1人、編集長が2人。それに経理が1人で、広告営業が1人。最後にレイアウターが4人の予定でした。編集長は局長のように組織決定権はありませんが、記事の編集における責任者というポジションです。結局、私たちの学年は、全員で複数の役職を掛け持ちしていました。それでも足りないところは、後輩にお願いしてなんとか……」

新型コロナウイルスの感染が広がる前から窮地に立たされていた。仲間が辞めていく理由はさまざまだった。もっと自分が書きたいものを担当したい、「紙」の新聞は読む人がいないからやりがいがない……。それでも、残ったメンバーは新聞発行をやめず、「紙」の制作をあきらめなかった。

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