米国「南北戦争」で南軍を率いたリー将軍の実像 混沌とするアメリカ情勢下で改めて注目される
戦争初期の南軍を支えた高級指揮官、ジョセフ・ジョンストン将軍やピエール・ボーリガード将軍といった人々はまさにその典型で、彼らは間違いなく優秀な軍事指揮官ではあったが、南部連合のデービス大統領と、軍事戦略の方針をめぐって口論ばかりしていた。
南軍の猛将、ストーンウォール・ジャクソン将軍も優秀な軍人ではあったが、手前勝手な神への信仰心を振りかざして部下にむちゃくちゃな命令を下す傾向があった。そのため波長が合う部下には好かれたが、合わない部下には徹底して嫌われ、実際に部下のマックスシー・グレッグ将軍との深刻な不和は大変有名だった。
調整役としてのリー将軍
フレデリックスバーグの殊勲者であるロングストリート将軍にしても、気難し屋として知られ、同じく南軍の将軍だったアンブローズ・パウエル・ヒルと決闘沙汰になりかけたことがあった。
リーはこうした曲者ぞろいの南軍将兵を、その温和な物腰とコミュニケーション能力で巧みに手なずけられた人間で、また戦場に出て一変するその大胆さは、南部の荒武者を心服させる力があった。神がかりのストーンウォール・ジャクソンさえ、「リー将軍の言うことなら何でも従う」と全面的な信頼を置いていたほどだ。
実際、リーのいた東部戦線に比して、西部戦線が一貫して南軍不利の状況で進んだのは、リーのような調整役を欠いた状態で、南軍がバラバラに何の協調もなく動いていたからだといった指摘さえ存在するのだ。
リーはこのように、人格、能力ともに優れた軍人であったからこそ、南北戦争後の南部人たちが「南北戦争において、南部には崇高な大義があったのだ」といった主張をする際のアイコンにまつりあげられていった。リーはその紳士的な性格から特に戦後、戦争に対する弁明などをほとんどしなかったのだが、それゆえに南部の元軍人たちなどから、勝手に「聖人化」されていき、銅像などがあちこちに建てられるようになる。そしていま、そんな彼の銅像は「差別の象徴」として、激しい糾弾にさらされるようになっているのである。
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