米国「南北戦争」で南軍を率いたリー将軍の実像 混沌とするアメリカ情勢下で改めて注目される
その新指揮官を初めて見た北バージニア軍の将兵たちは、リーの真っ白い頭髪や、高級軍人としてはやや不釣り合いにも思える物腰の柔らかさを見て、「ババア(Granny)」という、かなり失礼なあだ名をつけているが、そのファースト・インパクトは戦場であらかた吹き飛んでいく。
彼の初陣となった「七日間の戦い」で、彼が北軍へ連日の積極攻勢をしかけたことからもわかるように、軍人としてのリーはその温和な人柄とは裏腹に、大胆にリスクをとる、ギャンブルに近いような戦術をしばしば採用した。
アメリカ軍アナポリス海軍兵学校名誉教授のクレイグ・シモンズは、リーは「士気において勝れば数の劣勢はカバーできる」と考える指揮官だったとし、「数的に優勢な敵の前で軍を分けたり、強固な陣地に向けて攻撃をしかけたりする」ような、「進んでリスクを冒す」傾向があったと指摘している。
人心掌握にも長けていた
そのリスクを好む性格と温和さは絶妙に結合して、人心掌握にも大変な効果を発揮した。リーは戦場において、部下に大胆に権限を委譲して最終責任は自分がとるといった態度を好んだ。
たとえば1862年12月のフレデリックスバーグの戦いでは、自身の片腕と見込んだジェームズ・ロングストリート将軍に防御戦略を任せ、彼が高地に築いた南軍の防御陣地は北軍の突撃を十数回にわたって粉砕。戦闘終了後、リーが「戦争が悲惨なのはいいことだ。われわれが戦争好きにならなくてすむから」とうそぶいたほどの完全勝利を南軍にもたらした。
南軍にとって、北バージニア軍という重要な戦闘部隊の指揮官に、リーのような温和な人物を得ることができたのは、非常に幸いだった。なぜなら南軍の高級将官の多くは南部の上流階級で、つまりは奴隷所有者であった。彼らは総じて幼いころから、黒人奴隷や使用人たちに威張り散らして育ってきた人々で、全体的な傾向として、傲慢でコミュニケーション能力に欠けていた。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら