米国「南北戦争」で南軍を率いたリー将軍の実像 混沌とするアメリカ情勢下で改めて注目される

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生家の事情もあって、リーの青年期はとにかく苦労の連続だった。彼の財産の多くは妻の家系を経由して手に入れたもので、そうした人生経験を経て、リーは傲慢で尊大な人間が多かった南部奴隷農園主のなかではめずらしいほどに、温和で誠実な人柄を備えていた。

同時代の南部人の多くがそうであったように、リー自身が白人と黒人の人種的平等を信じていたような事実はない。しかし、彼は奴隷制の存在が、南部白人を道徳的に堕落させる傾向があることを憂いていた。

また連邦国家アメリカを打ち立てたその高貴な血筋ゆえの自覚として、南北戦争前夜、奴隷制に関わる問題が、南北の分裂を生んでいることについて深く憂慮していた。実際に南北戦争勃発直前の1861年1月、彼は息子にあてて、こんな手紙を書いている。

「わが国の憲法を作った人たちは、もしそれが南部連合に加盟する州によってほしいままに破られるようなものであったなら、それを作るのにあれほどの労力と英知と忍耐を費やさなかっただろうし、またそれをあれほど多くの番人や防衛手段で取り囲んだりすることも決してなかったであろう。

(略)しかし、サーベルと銃剣によってしか守ることができないような連邦、そしてそこでは兄弟愛と慈悲に代わって闘争と内乱が行われるような連邦、そんなものは私には何の魅力もない。もし連邦が解体し、政府が崩壊したら、私は故郷の州へ帰って同胞の人びとと辛苦を共にしよう。故郷を守るため以外に、私はもはや剣を抜かないつもりだ」

温和な一方でリスクをとる一面も

実はリンカーンは南北戦争勃発時、まだリーの故郷、バージニアが正式には合衆国を離脱していなかったこともあって、北軍の指揮官になってほしいと持ちかけていた。しかし、リーは「故郷を守るため以外に、私はもはや剣を抜かない」との決意を固くしており、合衆国軍を去り、南軍に身を投じる。

リーは当初は南部連合大統領ジェファーソン・デービスの軍事顧問であり、北バージニア軍司令という形で現場に出てきたのは、半島作戦の最中にジョセフ・ジョンストン将軍が負傷したことによる、ピンチ・ヒッターとしてであった。

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