ペストに怯えた中世の人々が採った仰天の対策 イギリスの奴隷制度はいつまで残っていた?
ペストを防ぐためにお風呂を避けた?
今なら「不潔さ」がいちばんよくないとわかるが…… 。
黒死病の流行で、人々が忌み嫌ったのは「魔女」でも「ネズミ」でもない。
そもそも、腺ペスト(訳注:14世紀にヨーロッパで猛威をふるった伝染病。皮膚が黒くなって死んでいくことから「黒死病」と呼ばれた)の原因がネズミであると判明したのは、1898年のことだ。
流行直後に、人々が徹底的に避け始めたのは水(または湯)に触ることだった。
中世のヨーロッパには、「終わりなき腐敗の時代」という悪名もついたほど、汚(けが)れたイメージがある。
だが、実は、当時のどこの都市や町にもかならず大衆浴場があった。
温水と湯気ばかりでなく、食べ物やワインや、「その他のサービス」まで提供する豪勢な浴場もあったという。
こうした浴場は恋人たちの密会に最適な場所となり、ほとんど高級娼館と呼べるような施設へと変貌したものもあった。
こうして、ほぼ400年間は、湯につかることも全身を洗うことも、こっそりとだろうが大っぴらにだろうが、人間としてごく普通のことであり、また望ましいことでもあるとみなされていた。
この習慣を変えたのが、黒死病である。
1347年から1350年にかけて、2500万人(ヨーロッパの総人口の3割)もの命を奪った伝染病だ。当初は、発生源も感染経路もわからなかった。
ところが1348年、パリ大学の医学研究グループの1つが、黒死病の原因に関する公式見解を発表。
「原因は大気中の有害物質にあり、それが鼻や口や、そして皮膚の毛穴から体内に侵入する」と。
突如として、風呂につかるのは自殺行為とみなされるようになる。なんとしても、水に入ることは避けなければならない。浴場は即時閉鎖。
その後の300年間、ヨーロッパ中のほぼすべての住民が入浴を完全にやめてしまった。
この新しい理論から導き出された予防策は、できるだけ毛穴をふさぐということになる。そんなわけで、それまで風呂で洗い流していた体内からの排出物は、保護膜として働く重要なものに変わった。