ペストに怯えた中世の人々が採った仰天の対策 イギリスの奴隷制度はいつまで残っていた?
ちなみに、「ジムナスティックス(体操)」という言葉は、ギリシャ語の「裸体」を意味する「ギュムノス(gymnos)」を語源とする。
古代ギリシャでは、4つの「パンヘレニック競技会」つまり「全ギリシャ人の競技会」が行われていたので、陸上競技、チャリオット(古代の戦車)レース、コンバット(戦闘)競技などの選手たちは、4年に一度のスポーツの祭典を待つ必要がなかった。
競技会ごとに勝利の冠が異なり、それによって大会の独自性が示されていた。
オリンピアで行われた競技会では勝利の栄冠にオリーブの枝が使われ、ネメアで開かれた競技会では乾燥したパセリが使われていた。
聖地デルフォイのピュティアで行われた競技会では、勝者の冠はローリエ(月桂樹)でできていた。この競技会では音楽競技が盛大に催されていたこともある。
ギリシャ以外で開かれた最初のオリンピックは?
ギリシャ以外の都市で最初に開かれたオリンピックは、イングランドのグロスターシャー州のスポーツ競技会だ。
ロバート・ドーバーという名の地元の法律家が所有していた丘で1612年に開催した競技会を「コッツウォルド・オリンピック大会」と名づけたのが始まりだった。
この大会には、「男らしさの追求」をテーマとする競技――レスリング、こん棒を武器に戦うゲーム、足のすねの蹴り合い、ケイバー・トス(丸太投げ)に似た競技など――もあったが、同時にピュティア競技会の歴史的な功績を称えて、歌唱、バグパイプ演奏、競馬、チェスなどの優勝者も表彰されたそうだ。
さらに、同じくイングランドのマッチ・ウェンロックという町でも、1850年に「オリンピックの復興」が試みられた。
このスポーツ競技会には、なんと「ベル鳴らし」という種目があり、ベルをいくつも飾りつけた衣装に身を包んだ者が1人、目隠しした一団に追いかけ回されたという。
1896年開催の第1回近代オリンピック・アテネ大会は、ピエール・ド・クーベルタン男爵の提唱によって実施された。彫刻、音楽、絵画、文学、都市計画などの種目を加え、優秀者にメダルを授与するというものだった。
しかし、1952年から1972年まで国際オリンピック委員会の会長を務めたアメリカ人、エイベリー・ブランデージが、会長就任に先立って、「絵画や彫刻などの芸術作品のメダリストたちは、その栄誉をプロとしての資金確保に利用しかねない。そうなれば、オリンピックの厳正なるアマチュア精神が損なわれる」と断じてからは、種目は運動競技のみとなった。
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