ペストに怯えた中世の人々が採った仰天の対策 イギリスの奴隷制度はいつまで残っていた?
そして奴隷とはやや形態が異なる年季奉公さえめったに見られなくなり、1574年には女王エリザベス1世によって最後の年季奉公人たちが解放された。
同じころ、イギリスは強力な植民地大国になりつつあり、本国に戻ったイングランド人男性にとって「黒人男性の召使い」を持つのは流行の最先端を行くことだった。こうした召使いは実際には奴隷であり、この反社会的行為は、1772年の判決により違法であると認められた。ときの判事マンスフィールド卿はこう宣言したという。
「イングランド王国の空気は、奴隷が呼吸するには純粋すぎる」
こうして、国内にいた何千人もの奴隷が自由を獲得する。
このとき以降、イングランド王国では(大英帝国の時代は違ったが)コモン・ロー(訳注:12世紀後半から約1世紀間に成立したイングランド王国共通法を基礎にした法体系)にもとづいて、奴隷制度は議論の余地を残しつつも基本的に違法とみなされるようになった。
しかし2009年に「Coroners and Justice Act(検察法)」が可決されるまで、国会で正式に違法と認められることはなかったのだ。
それ以前の国会は、誘拐・不法監禁・性的利用を目的とする人身売買・強制労働などに関する法案を扱ってはいたが、奴隷制度について個別に審議することは一度もなかった。
今は、イギリスにおける奴隷制は法律違反であることと、使用人を「奴隷または年季奉公人として」働かせる者は14年以下の懲役に処せられることが明確に規定されている。
「年季奉公」は「農奴制」の別の言い方だ。一定の土地の区画を割り当てられた農奴は、強制的に(場合によっては永久に)その土地に住まわされ働かされる。
「年季奉公」と「奴隷」は大差ない労働形態
奴隷との違いは、私有財産のように直接的な売買がされないことだけ。つまり、年季奉公と奴隷は大差ない労働形態だった。
現在まで、イギリスの法律に明確な規定がなかったために、現代の奴隷主たちを告訴することは困難だった。
なにかを「廃止すること」と、それを「犯罪行為と見なすこと」には違いがある。
世界中で奴隷制度が廃止されたのは何十年も前だが、奴隷所有者を処罰する法律が導入されてはじめて現実的な変化が起きた国は多い。
奴隷制など過去のものだと思う人もいるかもしれないが、実は世界的に見ると奴隷の数は増えている。その数は、なんと2700万人。
昔、400年もの長きにわたり、大西洋をまたにかけた奴隷貿易が行われた時代があったが、そのころにアフリカから連れ去られた奴隷の合計数より多いのだ。