北海道のTVマンが記した「デス・ゾーン」の真意 開高健ノンフィクション賞・河野啓氏に聞く

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登山家というとガタイがよくて無口なイメージがありますが、小柄で童顔。笑顔がかわいい。その意外性にも惹かれたんですね。質問するとすぐに答えが返ってくるし。2時間くらい話して、新鮮な驚きがあった。

よく覚えているのは、彼は街中でもリュックを背負っていて、何が入っているのか訊ねると、取り出したのはパソコンひとつきり。そのへんの自己演出もうまいなと思いました。これまでに登った山の映像を見たいと言うと、すぐに段ボールひと箱ぶん送られてきて。それを見たときの衝撃は忘れられないですね。

こうの さとし/1963年愛媛県生まれ。北海道大学法学部卒業。1987年北海道放送入社。ディレクターとして、ドキュメンタリー、ドラマ、情報番組などを制作。高校中退者や不登校の生徒を受け入れる北星学園余市高校を取材したシリーズ番組(『学校とは何か?』〈放送文化基金賞本賞〉、『ツッパリ教師の卒業式』〈日本民間放送連盟賞〉など)を担当。著書に『よみがえる高校』(集英社)、『北緯43度の雪 もうひとつの中国とオリンピック』(小学館。第18回小学館ノンフィクション大賞、第23回ミズノスポーツライター賞優秀賞) (写真:河野啓氏提供)

――その量ですか。

量もそうですが、山の中で叫んだりもがいている。登山の過程を詳細にカメラで撮っていて、自分が泣く顔までも。いまのユーチューバーの先駆けのようなことをしていたんですよね。正直、これは取り上げないともったいないぞ、と思いました。

――河野さんが栗城さんを取材し始めた2008年当時、他のテレビはまだ注目していなかったのでしょうか。

日本テレビさんが前年にネット配信で取り上げていたのと、北海道文化放送さんが1時間番組をやっていたんですが、私はどちらも見ていなかった。会って、これは競って飛びつくだろうから、どこよりも先に番組にさせてほしいと申し込み、了解を得ました。

彼が何者だったのかを知りたくなった

――本書がノンフィクションとして独特なのは、卓抜したエリートを称揚するものではない。前半はむしろ栗城さんのダメな一面、わたしたちと変わらない一面が描かれ、彼の頑張らなさ加減に「おいおい」とツッコミながら読みました。だけども不思議と読み進むうち、栗城さんに親密な感情を抱きはじめ、端的にいうと好きになっている。そして、なぜ両手の指を欠きながらも、まだ彼が山に登りつづけたのか、知りたくなるんですね。

河野さんは本にも書かれていますが、一度は2年にわたり時間を共有しながら、あることから交流を断たれている。関係が途切れた後に再度取材するというのはゼロスタートより大変だったと推量しますが、本書の執筆動機は何だったのでしょうか。

一番の理由は、彼が何者だったのかを知りたくなった。亡くなったというのを知ったときに、山で死ぬなんて、まるで登山家みたいじゃないかと思ったんです。

指を9本凍傷で失くしたというのはニュースで知ってはいました。これで山には登らないだろうと思い、フォローもしなかったのが突然、滑落死したという。まだ登り続けていたのかというのがそのときの正直な気持ちで。何故登り続けていたのか。その謎をメディアの誰かが解いてくれていたら、僕は取材する気も起きなかったんだろうけど、メディアが伝えたのはお悔やみの言葉ばかり。(登山家たちからは実力不足といわれながらも)なぜ彼は8回もエベレストに挑みつづけたのか。知りたかったというのが最大の動機です。

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