北海道のTVマンが記した「デス・ゾーン」の真意 開高健ノンフィクション賞・河野啓氏に聞く
登山家というとガタイがよくて無口なイメージがありますが、小柄で童顔。笑顔がかわいい。その意外性にも惹かれたんですね。質問するとすぐに答えが返ってくるし。2時間くらい話して、新鮮な驚きがあった。
よく覚えているのは、彼は街中でもリュックを背負っていて、何が入っているのか訊ねると、取り出したのはパソコンひとつきり。そのへんの自己演出もうまいなと思いました。これまでに登った山の映像を見たいと言うと、すぐに段ボールひと箱ぶん送られてきて。それを見たときの衝撃は忘れられないですね。
――その量ですか。
量もそうですが、山の中で叫んだりもがいている。登山の過程を詳細にカメラで撮っていて、自分が泣く顔までも。いまのユーチューバーの先駆けのようなことをしていたんですよね。正直、これは取り上げないともったいないぞ、と思いました。
――河野さんが栗城さんを取材し始めた2008年当時、他のテレビはまだ注目していなかったのでしょうか。
日本テレビさんが前年にネット配信で取り上げていたのと、北海道文化放送さんが1時間番組をやっていたんですが、私はどちらも見ていなかった。会って、これは競って飛びつくだろうから、どこよりも先に番組にさせてほしいと申し込み、了解を得ました。
彼が何者だったのかを知りたくなった
――本書がノンフィクションとして独特なのは、卓抜したエリートを称揚するものではない。前半はむしろ栗城さんのダメな一面、わたしたちと変わらない一面が描かれ、彼の頑張らなさ加減に「おいおい」とツッコミながら読みました。だけども不思議と読み進むうち、栗城さんに親密な感情を抱きはじめ、端的にいうと好きになっている。そして、なぜ両手の指を欠きながらも、まだ彼が山に登りつづけたのか、知りたくなるんですね。
河野さんは本にも書かれていますが、一度は2年にわたり時間を共有しながら、あることから交流を断たれている。関係が途切れた後に再度取材するというのはゼロスタートより大変だったと推量しますが、本書の執筆動機は何だったのでしょうか。
一番の理由は、彼が何者だったのかを知りたくなった。亡くなったというのを知ったときに、山で死ぬなんて、まるで登山家みたいじゃないかと思ったんです。
指を9本凍傷で失くしたというのはニュースで知ってはいました。これで山には登らないだろうと思い、フォローもしなかったのが突然、滑落死したという。まだ登り続けていたのかというのがそのときの正直な気持ちで。何故登り続けていたのか。その謎をメディアの誰かが解いてくれていたら、僕は取材する気も起きなかったんだろうけど、メディアが伝えたのはお悔やみの言葉ばかり。(登山家たちからは実力不足といわれながらも)なぜ彼は8回もエベレストに挑みつづけたのか。知りたかったというのが最大の動機です。
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