結果、「女女格差」が拡大した
一方で、もう少し負担の少ない一般職はラクか?と言ったら、そんなことはありません。というより、かつての一般職は今や崩壊しつつあります。
ご存じのとおり、今から30年ほど前の1985年、男女雇用機会均等法が成立しました。それ以前には、企業は女性労働者を、結婚退職制、出産退職制、30歳定年制、差別定年制など、ありとあらゆる口実で、早めにやめさせようとしました。今では考えられないようなセクハラ慣行が横行していたのです。
それを廃止するために、先輩の女性労働者たちは血のにじむような法廷闘争を行いました。そういう女性たちの努力で結婚退職制や差別定年制は、この時代までにはすでに違法になっていたのです。
均等法以後、85年以前の求人広告ではよく見かけた「男子のみ」の募集もなくなりました。企業は、男女雇用機会均等法の施行以来、表面上は「女性を差別していない」体裁を整えなければなりませんでした。
しかし、日本の企業は均等法の施行前に、巧妙な抜け道を作っていました。それが、総合職/一般職の「コース別人事管理制度」です。
総合職は、異動・転勤・出張ありの従来型のライン職です。一方、一般職はその補助業務であり、転勤や異動にも制限があります。
総合職/一般職は、それまでの男性向けコースと女性向けコースを言い換えただけのようですし、事実、フタを開けてみれば男子は100%総合職、女子は大半が一般職という振り分けが横行したのですが、タテマエ上は募集採用にあたり「男子のみ」の限定をつけないということで、女性差別はしていないと、取り繕ったのです。
85年は、さらに、女性の雇用に大きな影響を与える法律が成立しました。「労働者派遣事業法」です。
派遣事業はかつては口入れ屋や周旋業、もっと露骨にピンハネ業と言われた業種です。右から左に人を動かすだけで、労せずカネになる事業です。
以前は、こんなあくどい仕事は金儲けのためにやってはいかん、公的な団体が責任を持ってやらなくてはと、規制がかけられていました。それが公共職業安定所です。
しかし、85年に、政府は「派遣事業法」を成立させ、口入れ屋という業種を営利企業が金儲けのためにやっていいと、認めました。以来、労働市場の規制緩和が怒濤のように進みました。その結果、どうなったか?
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