「渋沢栄一」が20代で発揮した人の心をつかむ技

上司・慶喜を口説き、農民と親しんで人材募る

渋沢栄一の銅像(写真:Taisuke /PIXTA)
NHK大河&新一万円札の顔で「日本資本主義の父」と讃えられる渋沢栄一は、新選組の近藤勇や土方歳三と同じく農民の出であるのに、幕末の風雲に乗じて武士として活動した。
渋沢栄一の少年時代は、養蚕業を営む父親から英才教育を受けた。若くして儒教を理解し、物資の需要と供給もわかる算勘者(数字に強い者)に育っていた。
流行の尊王攘夷思想にかぶれて、開港地横浜へ徒党を組んで乗り込み、大規模な異人斬りをおこなおうと考えて、軍資金まで用意していたのが24歳の夏。この生涯最大の危機を幸運によって免れた栄一は、江戸に短期留学して剣と漢学を学ぶうちに、一橋家に採用された。同家の当主は、のちに15代将軍となる慶喜で、栄一はひょんなことから武士になりたいとの夢が叶ったのである……。
直木賞作家にして、歴史小説の第一人者・中村彰彦氏が上梓した『むさぼらなかった男――渋沢栄一「士魂商才」の人生秘録』から、第9話「農兵募集と人事掌握術」を再構成し、史上最強の経営者・渋沢栄一の〝青年時代の覚醒〟を紹介する。

御徒士に進んで以来、「渋沢篤太夫」と武家風に改名していた渋沢栄一が、一橋家に馴染むにつれて奇妙に思ったのは、同家に兵力が欠けていることであった。

一橋慶喜は弓馬刀槍の達人およそ百人に身辺を守られており、「御床几廻り(旗本)」と称していた。これはあるじの護衛であって、敵とわたり合える兵力ではなかった。

ほかに御持小筒組という小銃配備の歩兵が2小隊あったが、こちらは幕府が付けてくれた部隊なので、慶喜の身に危険が迫った場合、どこまで身を挺して戦ってくれるか。はなはだ心もとない。一橋家の兵力は「禁裏御守衛総督兼摂海防禦指揮」という肩書の仰々しさに比して、やけに寒々としたものでしかなかった。

二軍の戦力を、いかに向上させるか?

一橋家をふくむ「御三卿」は、徳川御三家をプロ野球やプロサッカーチームの一軍とすれば、二軍に似た存在にすぎない。「徳川の平和(パックス・トクガワーナ)」の進行する時代に立てられた家には、軍事力を期待されてはいなかった。

これらのことを訝しく思った栄一は、一橋家用人の黒川嘉兵衛にむかって、「禁裏御守衛というからには、兵力がなくては有名無実ではありませんか」といってみた。

黒川がいうには、幕府にはこれまで兵隊の借用料として月々1万5000両を差し出し、その兵隊たちには年に5000石をあてがってきた。これ以上、兵を借用することはできないし、金のやりくりができたとしても、兵には優劣があるから、ほかから優秀な兵を集めるのはむずかしい、とのこと。

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