「渋沢栄一」が20代で発揮した人の心をつかむ技

上司・慶喜を口説き、農民と親しんで人材募る

まず川口の代官所へおもむき、備中で募兵できればこちらは容易にできますといわれて、井原村に出かけたのが3月8日頃。

須永という姓の者を下役として従えた栄一は、槍持ち、合羽籠持ちなどに供をさせて長棒引戸の乗物に乗っての旅だったと回想しているから、旗本並の格式であった。衣装はぶっさき羽織にたっつけ袴、陣笠か流行の韮山笠をかむっていたであろう。

気安く物を言い合える、横並びの関係を築く

井原村の代官と各村の庄屋たちに面談して村民の次男、三男のうち志ある者を召し出すように、と説諭すると、その者たちを呼び出して直接申しわたした方がよいのでは、という返事。それでは、と庄屋に付き添われてやってきた者たちに、農兵募集の趣意を言い聞かせると、思いがけない反応が返ってきた。

「付添の荘屋がいずれ篤と申し諭しまして御奉公いたしますなら直ちに御請けに出ます、といってガラガラと戸を明けて出てゆくという有様で、毎日毎日この通りで多人数出ては来るけれども、一人として募りに応じて兵隊に出ようという者がいない」(『雨夜譚』)という事態となったのだ。

なぜそうなるのか。すでに武家社会に馴染みはじめていた栄一は、農民とは領主層に対する面従腹背をためらわない者たちだ、という点を失念してしまっていた。

栄一は、長棒引戸の乗物で旅する自分の姿を、にわか武士には不似合いと感じていた。しかしながら井原村の人々には、領主の命令を一方的に伝えにきた〈お偉いさん〉にすぎず、敬して遠ざけるにしかず、と思われていたのである。

そこで栄一は手法を改め、領内の撃剣家と学者にどういう者がいるかと尋ねて、関根某という剣士と興譲館という学校で教授をしている漢学者・阪谷希八郎の名を知った。こう書けばもうおわかりだろう。

栄一はかつて北辰一刀流玄武館の剣術仲間や海保塾の塾生から多くの同志を募りえたことを思い出し、上下ではなく横並びの気安く物を言いあえる人間関係を築いてから兵を募り直そうとしたのだ。

阪谷とその弟子たちと、時事を談じたり宴会をひらいたりして、おもに開国論と再鎖国論の是非を論じると、阪谷は開国を主張して痛飲。関根某とは手合わせすると栄一が勝ってしまい、「この頃来て居る御役人は通常の俗吏ではない、学問といい剣術といいなかなかあっぱれの手際である」(同)と噂が立って、近在の村から文武に心得のある少年たちが毎日訪ねてくるようになった。

その少年たちや興譲館の書生たちと、漁師が網で鯛を獲る「鯛網」を見物しにゆき、その鯛を料理してもらって酒を飲み、詩を吟じるうちに、井原村から2人、他の村から数人の奉公希望者があらわれた。

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