よく見れば、トリッキー
大下が描いたのは風景だ。どれもまじめでおとなしい絵に見えるが、実は見たままの景色を描いたのではなく、トリッキーな部分があると藁科さんは指摘する。
たとえば『赤道直下にて』は、夕暮れの海と空の風景だ。赤い夕日が海面に反射しているはずなのに、まったく描かれていない。ありきたりの夕日の絵にしたくなかったのではないかと藁科さんはみる。
作為的な、空と雲
次の『秋の雲』では、地平線をぐっと下げて、空を目いっぱい大きくとり、もくもくした雲を描いている。
「地平線とあぜ道のちょうど消失点のところに、2人の人が立っていて、この2人と空を飛ぶ2羽の鳥との距離が空の大きさを感じさせます。非常に作為的な構図です」
海外で絵の勉強をしたいと考えていた大下は、1898年、29歳のときに海軍の練習船に乗り、半年間でオーストラリア、フィジーまで航海した。『赤道直下にて』はそのときに見た風景だ。
「海外に出て、日本の風景を客観視できるようになった大下は、風景のとらえ方を工夫するようになります。よりリアルに見せるためのテクニックを、おそらく意識的に使っていました。まだ写真が普及していない時代に、極めてカメラ的な視点を取り入れています。芸術としての写真の領域まで踏み込んでいっています」
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