部活動での「いじめ」がなくならない日本の核心 学校に頼りすぎた日本、スポーツ分離のドイツ

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それから、ドイツの学校には部活がない。もちろん授業以外にプロジェクト型の取り組みはあるし、「部活のような」活動がまったくないわけではない。しかし日本のように学校の基本設計に組み込まれたかのような課外活動はない。特に朝練からはじまって、放課後も練習を行うような部活動は考えられない。

この背景には、学校が担っている役割の違いもありそうだ。ドイツの学校は知識を授ける教育機関という色合いが強い。だから先生たちも自分の授業が終わればさっと帰ってしまう。もちろん先生たちは家でも採点や授業の準備、研究など仕事をしている。しかし誰か管理しているわけでもない。

それに対して、日本の学校の先生たちはソーシャルワーカーのような役割までこなしている。たとえばドラマ「金八先生」などでも、生徒が問題を起こして警察に保護されると、なぜか金八先生がやってくる。しかし、法律でいえば未成年の責任は両親にある。先生や学校は無関係のはずだ。

同様のことが大学生にまで適用される。以前、海外の観光地で日本の大学生が歴史的な記念碑に落書きをしたことから、大学の副学長が謝罪に出向くといったことがあった。普通に考えるならば、学生が成人であれば本人、未成年なら親の責任だ。なぜ大学が責任を感じるのか、ここが不思議だ。

しかし、言い換えれば、そこまで学校組織は生徒・学生の個人的な行動にまで関わっている。あるいは「関わるべき」「責任を持つべき」という了解が日本には広くあるということであろう。教員側からみると学校は「ブラック職場化」しているが、その一端は学校に課しているものが多すぎる点にあるのではないか。

上下関係に伴う緊張感のあるスポーツ活動

さらに中学や高校では、たった3学年しかないのに、「先輩・後輩」という人間関係の秩序がある。学校によってはゆるいところもあるだろうが、厳しい学校だと、上下関係に伴う緊張感が出てきやすい。

日本の生徒は学校にいる時間が異常に長い。これでは学校が唯一の世界になり、緊張感が伴いやすい。長時間通勤・長時間勤務になりがちな大人も同様。タコツボ型の社会だ。(筆者提供)

さらに部活といえば、運動部は「勝利のための戦士集団」にしようという傾向もある。いわゆる勝利至上主義である。

「長時間」「緊張感のある人間関係」「勝利至上主義」のもとでスポーツ活動となると、リラックスできるスポーツ環境とは言い難い。また実力ある下級生に上級生からいじめが出てくるのも当然といえるだろう。

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