部活動での「いじめ」がなくならない日本の核心 学校に頼りすぎた日本、スポーツ分離のドイツ
ドイツを見てみよう。
基本的な設計からいえば、授業以外は自分の自由な時間であり、自己決定で何をするかを決める。スポーツがしたければ、NPOのような非営利組織として運営されるスポーツクラブに加入するのが一般的だ。
そしてここには子供だけでなく大人まで加入している。つまりスポーツクラブは「学校内のクラブ」ではなく、「社会全体のクラブ」なのだ。この観点からいえば、日本の中高の最終学年で部活の「引退」という言葉はとても不思議な感じがする。
スポーツクラブは歴史も古く、数も全国で約9万ある。競技もサッカーから水泳、空手、フェンシング、体操などかなり選択肢がある。単独の競技を扱うクラブもあるが、複数の種目を扱う「総合型スポーツクラブ」も多い。
また、健康や余暇が目的の人から、試合で頑張りたい人など、スポーツの「目的」も幅広い。ちなみに筆者が住む11万人の町でも約100のクラブがある。最大最古のクラブになるとメンバーが7000人近くおり、競技も26種目扱う。設立は1848年だ。
平等性を追求するスポーツ文化
人間関係を見ると、歴史的にスポーツクラブは「スポーツを共にする仲間」として平等性を追求。日本の部活にある「体育会系」とは真逆のスポーツ文化だ。年齢や学校の違う子供が集まり、競技によっては高校生ぐらいの若者と年金生活者がいっしょに汗を流すこともある。この姿には「共にスポーツを楽しむ平等な仲間」という言葉が重なる。
また、クラブに入ってみたものの、自分に合わないと思えば、簡単に別のクラブを探せばよい。学業・スポーツ(部活)がワンセットになった日本の学校システムではなかなか難しい。
日本とコントラストを大きくしていえば、社会全般の中で、「学業(学校)コミュニティ」と「スポーツコミュニティ」が分離しているのがドイツだ。平等性を基本にしつつ、人間関係の多様性がある。そして、日本ほど長時間顔をつきあわさなくともよい。いじめの発生要因から考えると、この構造は一考に値すると思う。
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