あの織田信長も一役「美術品売買」の意外な歴史 「楽市・楽座」が流通市場にもたらしたもの
「楽市・楽座」は商品評価の基準を変えた
山本豊津(以下、山本):日本でアートフェアが始まったのが1992年。SCAI THE BATHHOUSE(スカイザバスハウス)の白石正美さんが東京タワーに事務局をお願いして実現しました。
僕の父もアートフェアをやりたかったのですが、実現する前に亡くなってしまった。父と親しかったギャラリー上田の上田社長がその遺志を引き継いで、白石さんと一緒にアートフェアを開催した。これが日本で初めてのアートフェアです。
田中靖浩(以下、田中):アートフェアの出現によってアートがパブリックになったわけですね。
山本:そうです。アートフェアによって美術品の情報開示が行われました。僕たちギャラリーが参加するアートフェアをずっと過去にたどると、織田信長が行った「楽市・楽座」に転換点を見ることができます。
楽市・楽座を日本の近代化と照らして考えると、各地にある商品を集めて、一般の人たちに「こんなものにこんな価格がついている」ということを見せたのは重要な転機です。売りに来た人も、買って帰るわけですよ。
これ面白いんですけど、アートフェアでも、僕たちはアートを売りに行ったはずなのに、別のギャラリーから買うんです。東京画廊で売っている作品を必ずしもコレクターが買うのではなくて、出店している別のギャラリーが買うこともある。
だから楽市・楽座の重要な点は、お客さんと売り手ではなく、売り手側がお互いに、売りに来たんだけど買って帰ることで活性化することです。そういうような場所を信長が拡大した。このことが商品評価の基準を大きく変えたと思うのです。