あの織田信長も一役「美術品売買」の意外な歴史 「楽市・楽座」が流通市場にもたらしたもの
山本:情報の公開という意味で次の転換点になったのが、豊臣秀吉の行った「北野大茶湯」です。これは秀吉が、自分で集めた名物(茶道具)を一般の民衆に見せる茶会です。それまでの信長たちの茶会はごく限られた人たちだけで楽しまれていました。
武士や公家のほかではせいぜい堺の商人がいたくらいだったけれど、秀吉は自分の出身の身分の関係もあったと思いますが、農民とか民衆もこの茶会に誘っているんですよ。
田中:そこから茶の湯のパブリックが始まるんですね。
山本:そうです。ナポレオンがルーヴル宮殿を一般庶民に開放して、美術品を見せたことと同じです。それよりも、北野大茶湯のほうが時期としては早いんです。
百貨店が誕生して「定価」が生まれた
田中:ヨーロッパでも相対取引が普通でした。いまでもイタリアとかでは個人店が多く、店の扉を開けて「こんにちは」って言いながら入る店がたくさんあります。
もともとヨーロッパにはそういう店ばかりだったんですよね。常連になれば別ですが、初めて入る店では少し気づまりしてしまう。「お前はどこから来たんだ」みたいな感じで見られたり話されたりするのは少々怖い。
そういうのをやめて、誰でも気軽に買い物ができる店をつくろうとして誕生したのが百貨店です。百貨店はパリで誕生しています。これができたことで相対取引がなくなり、定価が生まれた。
山本:一般の人がギャラリーに入りにくい原因もここにありますね。
田中:定価っていまでは当たり前の考え方ですが、交渉しなくても商品に値札が付いているのは当時としては画期的でした。
フランスでは1784年にパレ・ロワイヤルの一部が改造されて商店街になりました。その後、1852年にアリスティッド・ブシコーが「ボン・マルシェ百貨店」にてショーケースを用いた商品展示、値札販売を開始、ここからウインドウ・ショッピングという言葉が生まれました。このあたりから買い物がパブリック化していったのです。
それに対して、日本でパブリックを意識して楽市・楽座と北野大茶湯が始められたのは16世紀だから、日本のほうが早い段階からこのパブリック化を始めていたことになります。日本で既製品を売ったのは呉服店の越後屋で、これが1673年の創業なので、こちらもパリより時期は早いですね。