あの織田信長も一役「美術品売買」の意外な歴史 「楽市・楽座」が流通市場にもたらしたもの
田中:まさにそれを21世紀のいまに復活させたのがネット通販の「楽天市場」ですよね。楽市・楽座にあやかって「楽天」という名前をつけたそうですが、あれを見ているとまさに山本さんがおっしゃるようにショップの人たちがみんなで買い物し合っています。
SNSで「素晴らしかった」とコメントし合うと広告効果も高まる。自分だけでは限界がある商売を、みんなと一緒にやっているみたいなところがあります。ものを売る苦労がわかるから人の苦労にも共感できるし、いいものがあったら積極的に買いましょうという流れができていますね。
お金があっても美術品を買えない時代があった
田中:楽市・楽座と聞いてわれわれは関税がかからないフリートレードをイメージしますが、それとは別にもう一つ、重要な意味があります。
楽市・楽座の前の取引を考えると、基本的に相対取引なんです。どういうことかと言うと、すべて個人がやっているお店に入って、「今日はこれが欲しい」「お前ならいくらでいいよ」と価格交渉をする。つまり定価がない。商売人によっては「お前には絶対に売らない」と言う人もいる。けれど楽市・楽座では、お金さえもっていれば誰でも好きなものが買える。客を選ぶということがなくなったのです。
山本:それは情報公開ということですよね。商売人のAさんとBさんとCさんが売っている米の値段が違ったら、米の安い店に行きますよね。楽市・楽座からは、情報を公開してみんなで値段を調整しようとしたわけだ。
田中:楽市・楽座はアートフェアと似ていますね。アートフェアもお金さえもっていれば芸術に触れることができます。それまではお金をもっていても美術品を売ってくれないこともあった。つまり、お金さえもっていればいろんなものに触れられるようになったという意味ではパブリック化であり、そこから貨幣の力がすごく大きくなってくるわけです。
山本:アートフェアをやるとなったとき、現代美術のギャラリーでしか成立しなかった。ところが2000年に東京タワーがアートフェアから退いて、現代美術だけでは立ち行かなくなったとき、僕が古美術店と近代美術の画廊にお願いをして出店していただくことになった。
そのとき古美術店や近代美術の老舗は出たがらなかったけれど、いまでは老舗も名店も出店しています。それは日本の美術マーケットも、アートフェアで回りだしたからだと思います。