あの織田信長も一役「美術品売買」の意外な歴史 「楽市・楽座」が流通市場にもたらしたもの
田中:フランスはその後、美術品もパブリック化していくわけですが、日本はプライベートのままにとどまってしまった。そこには何か理由があるのでしょうか?
山本:教育のなかで、美術や芸術は趣味の領域に入ってしまい、産業に入れなかったのが原因でしょう。
田中:なるほど。ナポレオンがヨーロッパを転戦した際、各国では略奪を恐れて美術品を売却し、その多くがイギリスのマーケットに流れた。ここからイギリスで美術品マーケットが発展します。その流れはアメリカにも受け継がれた。当のフランスでもナポレオン後には美術品の売買がさかんになっていますね。
山本:日本では芸術はお金持ちの趣味になったから、フランス人のように一般人でも絵を買うという慣習が育たなかった。江戸時代後半には消費社会が発達しすぎたので、幕府が贅沢禁止令を出します。それによって浮世絵の値段も抑えられてしまったのですが、その影響もあるでしょうね。
「欲望を喚起する情報」を公開して公共化しようとするのがフランス革命以降の西洋の概念だとすると、日本の場合は、特に美術品はプライベートだから、それぞれのプライベートなところ(茶会やサロン)で価格をつける流れになってしまいました。
さらに、目垢がつく、つまり人目に晒さらされると価値が下がるという通念ができてしまい、美術品を秘蔵するようになった。秀吉が大茶会でオープンにしたにもかかわらず、茶会を個人というクローズドな世界に閉じ込めて、そこに美術商も関わって、価格をつけるシステムができあがってしまったんです。
日本でのパブリック化に貢献したデパート
山本:それでも世界の美術がパブリック化するなかで、日本ではアートフェアが始まる前は、デパートの美術部がその代わりをしていました。三越や大丸の美術部とかです。
田中:それは面白いですね。単にデパートと言っても、フランスでは一般的な消費財にとどまり、日本では美術品のパブリック化に貢献していたと。
山本:デパートの歴史的な文脈を見ると、1970年以降、日本人が豊かになると、デパートには高級品が必要になります。各デパートで美術品を扱う部が忙しくなり、その高級品のなかに海外ブランドが加わり、ルイ・ヴィトンやエルメスといった高額品が売れるようになりました。
しかし、バブル崩壊後、海外ブランドがデパートから独立して外にショップを出すようになります。そして美術のパブリック化に努めたデパートから美術が少しずつ引いていったのが、いまの日本の現状です。
伊勢丹もそごうも、みんな美術館をもっていましたが、いまは一つもない。残ったのは軽井沢にあるセゾン現代美術館だけです。そして、宴のあとにアートフェアが現れたのです。